2026年8月15日。今回は京都の山間・花背で行われる「花背の松上げ」を見に行ってきた。毎年「五山送り火」の前日に行われることから盆行事のようなイメージもあるが、どのようなものなのか。
花背の松上げとは?

花背の松上げは、京都市左京区の花背で8月15日の夕方~夜に行われる行事。
大きなカテゴリでは「火祭り」といっても良いのかもしれないが、松上げについて調べる中で「柱松行事」と言われるくくりがあるらしいと知った。
他県の柱松行事の例
- 小菅の柱松行事(7月 長野県飯山市※3年に1度)
修験道が行う調伏にルーツを持ち、そこに年占の要素が加わったものとされる。- 周防柱松(8月 山口県光市)
五穀豊穣や疫病退散を願い、孟宗竹で作った漏斗状の柱に火を投げ入れる。- 周防祖生の柱松(8月 山口県岩国市)
牛馬安全の祈願が由来とされる。地域の3地区で異なる日付に行われる。- 佐本川柱松(8月 和歌山県すさみ町)
疫病退散を願って行われた。平成23年に保存会解散により中断となっている。
いずれも「柱状の構造物の頂点に火をつける」というもので、願われる内容や由来は地域によって違いがある。
京都・花背の松上げは、右京区にある愛宕山への信仰が由来とされている。愛宕山の神は火を司る神・火伏せの神として有名で、その愛宕様に火を捧げる行事だという。
以前は地蔵盆に行われたというが、盆の送り火と結びついたり、盆のほうが担い手が集まりやすいなどの理由から現在の日付になったそうだ。
補足:地蔵盆というのは、地蔵菩薩の縁日である8月24日ごろに行われる行事。子どもの健やかな成長や安全を願うもので、行事の担い手も子どもが中心という地域も多い。愛宕様関連の行事が地蔵盆に行われたというのは、愛宕権現の本地仏=地蔵菩薩とされたためと考えられる。
バスに揺られて山奥へ
花背は、京都の市街地からみると鞍馬山をさらに北へ進んだ場所にあり「京都の奥座敷」とも呼ばれる。管理人は運転ができないので、市バスにお世話になった。
花背へ向かうバスは1日に数本程度。18時ごろから見たいと思ったが、15時ごろに着くバスしかなかった。というわけで、これに乗っていく。
北大路から乗ると、バスはなかなか混んでいる。「そうだよね!みんな松上げ見たいよね!」と思いつつ、車酔い予防のため眠りについた管理人だったが…。
途中で目を覚ますと、自分以外の乗客はたったの2人。す、少ない!
まぁいいかと風景を眺めていると、花背に近づくほど峠道となり、もはや対向車線の車同士がお互いに気を配らないことには無事に走行できないような細い道である。

そんな道を器用にクネクネと走るバスに揺られながら「これは、車に乗れても無事には辿り着けない……バスとは、なんと偉大な乗り物なのだろう」と心の中で運転手さんを拝んだ。
そして今回、管理人が「松上げが見たいけど帰りの足が」と騒いでいたら「個人的に興味もあるし」と車で合流してくれることになった友人も、しっかり拝んでおいた。
※市バスの通常便は、松上げが終わる時間にはもう運行していません。バスで日帰りを予定している方は、臨時便(もといツアーバス)があるのでチェックしてみてくだされ
花背を散策
本格的に行事が始まるまで3時間以上あるので、周囲を散策することにした。幸い天候にも恵まれ、山間部なので気温も爽やかだ。
春日社前で下車
松上げ会場の最寄りから1つ手前に、「春日社前」というバス停がある。今回は、ここで下車した。というのも、「松上げ」の火は春日社からもらってくると読んだからだ。
春日神社には意外としっかりした門があり、そこをくぐると、正面にきれいに整えられた小さな祠がある。これが春日社だ。中には、小さな明かりが灯っていた。
なお、資料では松上げの火を「春日社からもらってくる」とするものと、「愛宕神社からもらってくる」とするものがあった。
そのため「付近に愛宕神社もあるのだろうか?」と思ったがここ以外に神社らしきものはない。では、この向かって左に祀られているものがそうか…?

扁額などもなく、判別はできない。
あとで地元の人が話しているのを遠くから聞いていたら「ホントは左側が〇〇なんだけど、春日社が正面にあるから」的な話をしていた。えっ、肝心なところを聞き逃した…!
あとで読んだ資料『京都市の文化財 京都市指定・登録文化財集[民俗文化財]』によれば、かつては松上げが終わると愛宕社に参って総愛宕講を行い、深夜まで盆踊りを続けたらしい。
やはり、「愛宕信仰があった」というだけでなく「愛宕社」自体が建物としてあったということのようだ。
そして、春日社の向かって右側には「大雪年京都施行御施主爲家内安全」と書かれた石碑がある。

これは、過去に大雪に見舞われて地域が食糧難となった際、領主が食料や物資などを支援してくれたことを後世に残すためのものだそうだ。
そして、お参りを済ませて春日神社の門の中に戻る。中にはちょっとした座れる場所があって、段ボールに入った松明のようなものが置かれていた。
おそらく、これに火をつけて集会所まで持っていくのだろう。愛宕社については謎のままになってしまったが、ひとまず「火をもらうのがここ」というのは間違いなさそうだ。
松上げ場を下見する

この写真の、広場のやや奥に立っているのが「トロギ(燈篭木)」だ。そして、周りには無数の松明(地松)が立てられている。この場所全体のことは「松上げ場」というそうだ。
トロギは最上部にあるカゴのような部分(カサ)まで含めると、およそ20mあるという。

カサのなかには、投げ上げた松明(上げ松)が乗ったら火が付くように燃えやすい木などを集めて入れてあるらしい。地松にも、雨などが降っても湿らないように袋がかぶせてある。
道沿いをぶらぶら歩いていると、川の流れの中に大きな岩があり鳥居が乗っている。地図を見ると「岩神」と書いてあった。

岩神というからには、この岩自体が神様とされたのだと思うが、あとで調べても「いつからここにある」とか「どんな謂れがある」といった情報は得られなかった。
集会所をのぞく
地域の男性は松上げ前に集会所へ集まって、そこで松明に火を灯して松上げ場へ向かうという。
しかし、事前に読んだ記事や現地の地図を見ていると「公民館」「集会所」「お堂」などいろいろな呼び方があるらしい。さらに、Googleマップにはいずれも表示はない。
なので、どこなのか確証はないまま「おそらくこのあたりだろう」というところへ歩いていくと、紅白の幕が下がった家を発見。
明らかにこれだ。

写真を撮っていると近所の方が来たので、少しお話を伺った。
今日のために仕事を休んで集まっている人もいるそうで、その方自身も「ここに実家があって、今は住んでないけど今日だけ戻ってきて手伝ってる」とのことだった。
周辺にも松上げ行事はあるそうだが、地域の高齢化と過疎化が進んで(20mも松明を投げられなくなって)トロギの高さをを10mほどにした地域もあるらしい。
見栄え云々よりも「行事や信仰の形を残し続けられることが何より大事」とは思うものの、20mあるうちに見に来られてよかった…とも思う管理員だった。

なお、地松や上げ松など松明を作るのに使われるのはヒノキで、こうした松明の準備は1か月ほど前から始まるという。
行事では、使われる素材にも何か意味付けされていることもあるが…ヒノキに関しては地元の方いわく「やっぱり、よく燃えるからねー」という実用的な理由のようだった。
春日社で火をもらう
こうして、キッチンカーで売っているおにぎりセットを見たりしているうちに19時になった。
集会所に集まるのは20時ごろとのことなので、そろそろ春日神社へ火をもらいに来る頃なのではないかと思い、神社の近くで待ち構えることにした。

ところが、一向に来ない。まさか、知らないうちに私が発見できなかった「愛宕社」で火がもらわれて、もう始まっているのでは?と心配になってくる。
幸いそんなことはなく、開始時間もかなりギリギリになった頃に、ようやく何人かの人が春日神社へやってきた。

やはり、火は門の正面にある春日社からもらわれる。一人が春日神社の中へ入り、外にいる人のろうそくへ火を移す。
その火を敷地内で紙や枝に移し、大きくして松明に移す。松明の火は春日社前に並んだ松明にも移し、それが終わると松明を手に集会所へ向かう。

ついに始まる「松上げ」
集会所前に積み上げられていた木に春日社の火が移され、手に松明を持った男性たちはその篝火から次々に火をもらっていく。そして、列になって会場へ向かっていくのだ。
私のみていた場所は集会所近くで地元の方が多いのか、カメラのフラッシュが炸裂することもなく、沿道の人たちがその列をただ拍手で見送る感じがとてもよかった。
一行は会場となる松上げ場に入ると、地松へ端から火を灯していく。真っ暗だった松上げ場が一面、ほんのりと明るんで幻想的だ。

一定の間隔で鳴る鉦と太鼓の音が、虫の声や木々のざわめき、風の音の中でか細く、しかし確かに耳に届く。
夏の風の中に響く鉦は、どこか盆らしさがあってしみじみするな…と思っていると、トロギに向かって投げ上げるための「上げ松」に火が付き始めたようだ。
上げ松には縄が付いていて、これを持ってブンブンと回したのちに上へ投げる。回すことで、おそらく弾みをつけるだけでなく風を切って火力が高まるものと思われる。
(分からないけど、火を投げる系の祭りは結構みんな振り回してる気がするから…)
いや、しかし皆さんさすがのコントロールで。何度か繰り返しているうちに、一つの上げ松がトロギのてっぺんにあるカサへ乗り、火がついた。
それまで応援しながら見ていた人たちから拍手と歓声が上がる。
その後も上げ松がカサをかすったり、届かなかったり、入ったり。それを繰り返し、風に吹かれ、トロギはまさに大きな松明のように燃え上がっていく。
そうして火が大きくなり、カサの枠などが燃え落ちるほどになる。すると、掛け声がかかって、ついにトロギが倒される。
倒れた瞬間、地面に叩きつけられたカサからは火の粉と煙が吹き上がった。離れているが、爆炎のようで迫力があった。
暗闇と伊勢音頭
トロギが倒された後は、参加した男性たちが松上げ場を後にして集会所へ戻っていく。しかし、これが行くときのように松明を持っていないので姿が見えないのである。
ゆらり、ゆらりと暗闇の中を提灯だけがコチラに近づいてくるのは、なんだか現代ならざる妖しさがあって素敵だ。
そして、提灯がだいぶ近くなったころに伊勢音頭を歌っているのが聞こえてくる。行列は、そのまま集会所へ入り、提灯は集会所の入り口で竿から外して建物から下がった電球へ付け直す。
中央で太鼓が叩かれ、女性的な盆踊りの感じではなく、円を描き拍子をとりながら伊勢音頭は続いていく。激しく燃え上がる松上げとは対照的な、静かな時間だった。
この光景が、来年も10年後も続いていてほしい。そう願ってはいるが、今回の私が現地で使ったお金はおにぎりセットの数百円のみ。
(機会があったとして、寄付できるほどの経済的な余裕もない…)
今後も自分が好きなこういう行事を見られるために、できること、あるのだろうか。そんなことを考えながら、車に揺られて花背を後にする管理人だった。

余談:花背のむかし
今回同行してくれた友人は山道・峠道には慣れているが、到着したときの感想は「すごい道だった…最初に住んだ人、なんでここを選んだんだろう?」だった。
多分いろんな候補の中から急に「ここに住もう~」となったわけではないと思うが、花背がどのような場所なのかも気になるので、翌日に図書館へ行ってみた。
明確な答えまでは分からなかったのだが、花背に人が住み始めた歴史は意外と古いようだ。
一説には、平安京を造る際に必要な材木を切り出す場所として重宝され、それに従事する人々が住み始めたともいわれている。
『史料京都の歴史8 左京区』でも、古代から中世にかけて山林に依拠した生活が中心であったことがわかる、との記載があった。
また、『京都市の地名 日本歴史地名大系27』によれば、花背が林業の盛んな地帯であり特に江戸時代はスギの産地として有名だったとのこと。
同資料には、修験者にとって行場として早くから注目されており平安時代後期から霊地としてきわめて宗教色の濃い地と位置付けられていたこと、花背周辺が平重盛の土地だった可能性についても書かれていた。
また、『京都市の地名 日本歴史地名大系27』には、弥勒思想に基づいて「北方浄土の地」とされ、花背に経塚などが残るのもそのためだという内容があった。
さらにさらに余談だが、花背では卯月八日に「家ごとに三間余りのスギの丸太にツツジやヤマブキを添えて門に飾った」ことも書かれていて興味深かった。京都だが、天道花タイプでなく軒花寄りの飾り方だったということか。
※「卯月八日」について、当ブログではこちらにまとめています 卯月八日のこと - とまのす
ちなみに、かつては伐採した木材は筏流しで流送したそうだが、昭和初年にバスが通るようになってから木材の搬出方法も筏流しから車での輸送になったらしい。
おお。バスの歴史、意外と古いぞ…。
実は、もう少しだけ奥にある「広河原」という地域にも松上げがあるそうなので、おそらく数年のうちにはまた京都の奥座敷へ向かうバスにお世話になることがありそうだ。
ということで、今回はこのへんで。