とまのす

寺社に行ったり、祭りを見たり、ちいさくゆっくり民俗さんぽをしたりします。

MENU

茅と菖蒲と柏餅|神奈川県・蛇も蚊も

6月最初の日曜日、横浜市鶴見区生麦に伝わる「蛇も蚊も」を見に行ってきた話。

予定より1時間遅れての到着となったので…今回は主に原地区での様子を見て、少しだけ本宮地区も、という感じになった。

「蛇も蚊も」とは

f:id:ko9rino4ppo:20260614110519j:image

じゃもかも、と読む。茅(かや)などで作った蛇を担ぎ、「蛇も蚊も出たけぇ、日和の雨けぇ」と唱えながら町をまわったり、家々の玄関に蛇の頭を差し入れる行事だ。

雨乞い・疫病退散を願う行事であるとか、蛇を担ぐと体が丈夫になるというような言い伝えがあるという。

 

なお、「蛇も蚊も」は隣接する原地区・本宮地区という2つの地区で行われる。

本宮地区は事前に蛇をほぼ仕上げて午前中に出発し、11:30過ぎに道念稲荷神社へ戻って昼過ぎ頃に行事はほぼ完了。

一方の原地区は当日の早朝から蛇を作り始めて昼頃にほぼ完成。午後13時から神明社で修祓を行い、出発となる。神明社へ戻ってきたのは、今年は16:00頃だった。

町を練り歩くところを見たい、両地区とも見たい!という人は午前中に本宮地区を見て、見終わったら原地区の神明社へ移動するのもよいのかもしれない。

 

原地区のこと

今回は、なぜか地元の駅で逆方向の電車に乗ってしまい到着が一時間遅れるという失態を犯した。(気づいて1駅で降りたが、田舎なので次の正しい方向の電車を1時間待つことになった)

そのため、まだ出発していないであろう原地区のほうが最初から最後までちゃんと見られるのでは…ということで原地区・神明社へ。

 

神明公園とヘビ

f:id:ko9rino4ppo:20260614110633j:image

神明社は「生麦神明公園」という広めの公園の中にあった。

当日は小雨が降ったり止んだりの天気。朝早くから作り始めたであろう蛇は、濡れてしまわないように頭のほうからビニールシートを掛けられていた。

作業している人が雨にあたらないよう、網進めるにつれてテントを後ろへずらしながらの作業。蛇の体は、素材を縄でまとめるように作られており、下半身(尻尾?)はその縄を編み込みながら太い縄のように綯っていく。

作業をしながら大人たちは「雨じゃなけりゃ、もう少し長くできたよなぁ」「いいんじゃん、ちょうど“日和の雨”でw」などと話していた。

 

周りの子どもたちの声を聴いていると、この公園を「へび公園」と呼んでいる子がいる。なるほど、園内には大きな蛇のオブジェがあった。どことなくガウディっぽさがある、カラフルなモザイクの蛇だ。

f:id:ko9rino4ppo:20260614123259j:image

最初は単純に蛇を模したものだと思ったのだが、よく見ると赤い耳と目で、ちゃんと「蛇も蚊も」の蛇だとわかる。

 

修祓が始まる

作っていた人に聞いてみると、13時ごろ修祓(しゅばつ)を行ってから地区内をまわり、16時頃に神明社へ戻ってくるとのこと。

少し時間がありそうなので、管理人は昼ご飯を買いに行きつつ本宮地区の様子をチラッと見学して戻ってきた。公園のヘビに座っておにぎりを食べつつ、修祓の準備を眺める。

f:id:ko9rino4ppo:20260614110744j:image

蛇の目の前には果物やお酒などが置かれ、神事の準備が進む。そして、定刻どおり13時に修祓が始まった。

一般的に、修祓とは「心身のケガレを祓い清めること」と説明されたりする。また、祭りにおいては安全な催行を願って行われるものともいえるかもしれない。

ちなみに、修祓を行い行列の先に立つ神職さんは、杉山神社の方だと聞いた。

(しかし、横浜には杉山神社が多い。どこの杉山神社かまで聞けなかったが、地域の総鎮守である岸谷の杉山神社だろうか?)

 

その後、蛇は社殿の周りを3周まわる。藁蛇などが社殿の周りを回るのは他方の神事や祭事でも見かけるが、蛇も蚊も(原地区)は「2匹の蛇が逆方向に同時に回る」というパターンだった。

youtu.be

 

原地区の蛇、町をゆく

f:id:ko9rino4ppo:20260614110904j:image

修祓を終えた蛇は、鳥居をくぐって勢いよく出発。2匹の蛇は、原地区内を二手に分かれて回る。

現在の原地区は、新しい住宅地と昔から続く商店や住宅が入り混じっている感じの町だった。

そこを「蛇もー蚊もー出たーけぇ、ひよーりのー雨ーけぇ、出たーけぇ、出たーけぇ」の掛け声とともに蛇が進んでゆく。そして商店や住宅に立ち寄り、玄関に頭を差し入れる。

f:id:ko9rino4ppo:20260614110938j:image

参加者の中には若い家族もいたが、やはり玄関に入るのは商店や古くからありそうな家が多いように見えた(マンションにも入っていくが)。

また、その場でご祝儀のような包みを持ってきて「うちにも寄っていいよ」と伝える人もいた。

 

かつては「せっかく追い払った(集めた)厄が戻ってしまう、という理由から蛇は決して後戻りはさせなかった」が「現在は住宅の数も増えて難しくなった」と書かれた資料も見かけたが…いろいろな本やサイトを見ているうちに出店を見失ってしまった。どこに書いてあったか見つけたら追記しておきます。

 

神明社前での「絡み」

午後16時頃。2匹は同時に明神社へ帰還。帰ってきた蛇は、最後に社殿の前で3度「絡み」を行う。その時の様子がコチラ。

youtu.be

こうして、原地区での当日の行事はほぼ完了となった。

 

本宮地区のこと

f:id:ko9rino4ppo:20260614111224j:image

本宮地区については、①午前中に出発②原地区との境で神事を行う③生麦小学校で「絡み」を行うという情報はあったが、事前に調べても時間の詳細が見つからず。

過去に撮影された生麦小学校での写真を見て、影が短かったので「絡みは昼頃だろう」とは思っていたが…。

今回は原地区をメインで!と思っていたこともあり、「ちょっと様子見に…」と本宮地区へ足を延ばしたのは11:20頃。

蛇を見つけて、保存会の方に聞いてみると「11時ごろ終わっちゃったよー。これから帰るとこで」とのことだった。そうだよね…これは、境での神事とともに来年以降としよう。

 

原地区の修祓は13時頃とのことだし、道念稲荷へ向かい戻ってきた蛇たちだけでも見ることにした。

戻ってきた蛇は、社殿の前にとぐろを巻くように置かれていた。原地区で基本的に蛇が社殿に向かうように置かれるのと逆で、こちらは社殿を背にするように置かれている。

f:id:ko9rino4ppo:20260614111259j:image

ちなみに、サラッと「とぐろを巻くように」と書いたが、本宮地区の蛇は原地区より体が細めにできている。そのため、しなやかに巻いておくことができるのだ。

 

境内では、おかめとひょっとこの手踊りや獅子舞が披露されていた。おかめ・ひょっとこが獅子頭を背負っており、踊りの途中で獅子をかぶって「早変わり」のように獅子舞を披露する。

拝殿前に並ぶ3匹の蛇は、まるでそれを見物しているようだった。

f:id:ko9rino4ppo:20260614111402j:image

そうしているあいだ、子どもたちに柏餅が配られている様子も見かけた。そうか、たしかに「蛇も蚊も」はもともと旧暦の端午の節句に行われていたと書いてあったな…。

そんなことを思いながら、本宮地区を後にする管理人だった。

 

蛇の行方

2012年ごろに書かれた記事や資料を読むと原・本宮どちらも「最近では海に流せないので燃やしている」と書いてあった。

そのため今も同様だろうと思っていたのだが、訊いてみると「燃やさず回収してもらう」そうだ。

原地区では、事前に消防へ届け出をしているが、やはり煙が出れば通報されることもある。もちろん通報があれば消防の方も来なくてはならない。

それを繰り返すうち、燃やさずに処理業者に回収してもらうことになったそうだ。

 

一方の本宮地区でも、「燃やさないよ。最近は。横溝屋敷に寄付するから」とのこと。横溝屋敷?と思って調べると、江戸時代ごろの古民家を見学できる施設らしい。

それ以前から1体は地域に寄付していたそうだが、なんと横溝屋敷に寄付された蛇はライトアップされたりしているという。

しかし、帰宅してからいろいろ見ていると去年(2025年)に蛇も蚊もを訪れた方のブログで蛇の頭を燃やしている写真が。もしかすると、3匹いるので「寄付しないのは燃やす」のかもしれない。

無形文化財とはいえ、環境や住民の意識の変化などでその形は変化していく。「昔はこうだった」になる前に、見たいと思ったものは1年でも早く見に行くべきだとあらためて感じる管理人だった。

 

菖蒲と柏餅のこと

蛇も蚊もは、「旧暦の端午の節句に行われていたが、明治時代に太陽暦の六月六日になり、現在は六月第一日曜日になっている」とされている。

たしかに、蛇の舌に菖蒲の葉が使われたり、子どもたちに柏餅がふるまわれるなど「端午の節句」らしいアイテムは見かけた。

ただ、蛇も蚊もにはいくつかの由来譚があるが、その一つを読んでいると「端午の節句」ではない文脈で菖蒲と柏餅が登場する。

この由来譚は、下記のようなものだ。

むかし妻を亡くした青年が、死に際の妻との約束を破ってしまった。すると家の周りに蛇が現れるようになる。

青年が村の古老から「家の軒先に菖蒲・餅草・茅をおけば蛇除けになる」と教えられてその通りにすると、果たして蛇は恨めしそうに去っていった。

その後、青年は妻の供養のため茅で作った大蛇を子どもたちに担がせて家の周りをまわらせ、仏の供養として柏餅を作った。

 

これは『鶴見区の前身生見尾(うみお)村誌』に書かれたもので、昭和31年に寄せられた記録とのこと。

一般的に端午の節句の「ちまき」は供養のため作られたのが始まりだが、柏餅は武家社会のなかで「縁起が良い」という理由から江戸時代ごろに広まったとされている。

そんななか、ここでは柏餅を「供養のため」のものとしている。当時、先祖供養として6月前後に柏餅を供えることが一般的だったかはわからないが、少なくともよく知られる「子どもの節句」とは別の意味合いが感じられる一文だ。

 

そしてもう一つ、古老は知っていたが青年は知らなかった「家の軒先に菖蒲・餅草(おそらくヨモギ)・茅を置く」という蛇除けのまじない。

平成3年に刊行された『古老が語る鶴見の百話』を読むと、5月の項に「男の節句に軒ショウブを飾る」と書かれている。軒ショウブとは言うが、ショウブ・カヤ・ヨモギを束にして軒に上げておくのだという。

ここでは「どのような意味で行われるのか」は言及されていないが、もしかすると古老は単純な「蛇除け」でなく、(蛇が妻の化身というところから)悪霊もしくは厄除けのまじないを教えた可能性も…。と想像が膨らむ。

もともと軒ショウブの風習があって蛇も蚊もの由来譚にもそれが反映されたのか、同じ由来譚から軒ショウブが端午の節句の風習となったのか。

そこはわからないが、軒ショウブは蛇も蚊もに関連付けられるのでなく5月の行事として残っていたということで、また端午の節句関連の方向からも調べてみたい。

なお、同書では柏餅に関して「その年の新しい葉を使うので6月に作る」とだけ書かれていた。

 

長くなったが、また来年以降に本宮地区もしっかり見つつ、今回気になったことのヒントも探せたら…ということで、今回はこのへんで。

 

参考資料