とまのす

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欅の上からにらむ蛇|埼玉県 安行原の蛇造り

埼玉県川口市の安行原(あんぎょうはら)では、毎年5月24日に「蛇造り(じゃづくり)」と呼ばれる行事が行われている。

藁で大きな蛇を作って、地域内のケヤキの木に掛ける行事とのことだ。直前に知ったので少々下調べ不足ではあったが、蛇を作る様子を見学してきた。

 

朝9時、すでに作業が始まっていた

紙ベースの資料で読むと「午後3時頃、鉦の音を合図に関係者が集まる」と書かれていたりもするが、川口市文化財センターのホームページを見ると「午前9時頃~」とのこと。

コレは、とりあえず早い方に合わせるのが吉!ということで、とりあえず朝9時前に到着することにした。

蛇造りが行われるのは「ジガケ」と呼ばれる場所。駅から歩いて30分ほどで、樹齢数百年ともいわれる大ケヤキが立っている。

 

この「ジガケ」は、「蛇掛け」が転じた名前ともいわれる。かつては村はずれに近い場所で、ここに蛇を掛けておくことは地域の境界を守るような意味合いもあったのではないかと考えられている。

前回行った間々田のジャガマイタを調べている途中で「大きな藁蛇」という共通点から見つけた行事だが、今回の蛇は町を練り歩いたりはしない

 

ちなみに、他に藁蛇を作る行事といえばかなり例は多いが、個人的にはこれが見に行きたいなぁと思っているものがいくつかある。

  • 埼玉県久喜市 大輪神社の秋祭り
    (10月15日の秋祭り)

  • 神奈川県川崎市 白幡八幡宮の「初卯祭」
    (3月初卯日)

  • 神奈川県横浜市 中ノ久保地区の「注連引き百万遍」
    (10月)

  • 千葉県香取郡 「牛尾の蛇まつり」
    (11月15日または11月15日直前の日曜日)

  • 京都府宮津市今福 「蛇綱」
    (1月18・19日)

完全に蛇の顔の好みとかで選んでいるが、日付固定のものが多いようなので行ける曜日と合う年に行ってこようと思う。

 

さて、そんなことを考えているとジガケに到着した。そして、結果から言うとすでに作業は始まっていた。は、早い!

文献では「前年の蛇をやぐらから降ろし、それを参考にしながら新しい蛇を作る」とあったが降ろすところ見られなかった…

その場でバラされるのか?降ろした後どんな感じで扱われているのか?というのも気になっていたというのに。

 

藁の山から蛇へ

蛇の胴体部分

到着した時、広場には大量の藁が積み上げられていた。

昔は参加する家がそれぞれ藁を持ち寄っていたという。しかし昭和40年代からは稲作を行う家が減り、現在は世話人さんが外部から藁を調達しているらしい。

 

大量の藁は、地域の人たちの手で束になり、綱になり、まとまりを持った形になっていく。

各地の藁蛇のなかには手作り感満載でほっこりするようなものも多いが、なんというか途中経過の段階で既に藁が非常にきれいに編み込まれていて形が整っていた

蛇の体だけでなく、耳や鼻、まつげ、舌などの細かなパーツも藁。
(この蛇、まつげがあるんですよ!)

それぞれ作られた蛇の上あごと下あご

そして、太い枝を骨組みにして出来上がった上顎↑は、成人男性くらいの仏像があったとして、その光背ほどの大きさだ(ん?わかりにくいか…)。

上あごと下あごを組み合わせる際には、五平餅の串のような長い「竹の針」も登場して、手際よく作業が進む。

関東甲信越以外の人にも「五平餅」って通じるんだろうか…?地域によってサイズ感が違ったりするのかもしれない。私がイメージしている五平餅はコレです↓

五平餅の図

話はズレたが、職人技ともいえる作業を見ていると、時間が過ぎるのは早い。すぐに午前11時半ごろを迎え、もう胴体や頭部のおおよその形が出来上がっていた。

 

図書館への道は暑さとの戦い

ここで一旦ジガケを離れ、新郷図書館へ向かうことにした。

朝は寒かったため厚手のパーカーを着てきたのだが、見事に晴れてきた。日陰で静かにしている分にはいいが、日向を歩くともはや暑い。

とはいえ、中がかなり薄着だったためパーカーを脱ぐに脱げない。これは失敗した…。

 

服装を後悔しながら歩いていると、道路の反対側から地元の奥様らしき人に声を掛けられた。が、意外と交通量が多くて聴き取れない

最後のほうは「もう蛇△◎%※ってたー?」のような感じだったので、蛇造りの進捗確認かもと思い「大体パーツはできてましたー!」と返しておいた。

ショルダーバッグだけで歩いていたので、地元の人だと思われたのかもしれない。

 

そこからさらに歩いて、暑さでヘロヘロになりながら図書館に到着。

小さめの図書館の入って正面「資料室」は園芸・植物の本だらけだった。さすが樹木の育成栽培を地場産業とする「植木の町」安行である。

ただ、資料室=園芸コーナーのような状態だったので郷土資料コーナーがどこにあるのかわからず探し回ることになった。

館内をしばらくうろうろした結果、園芸関係の本が並ぶコーナーの奥に郷土資料棚を発見。無事に蛇造りに関する資料も見つけた

 

もう蛇が木の上にいた

やぐらに蛇の頭を据え付ける

資料に「午後3時に鉦を鳴らして…」という説明があったが、そもそも昼の時点でほぼ形ができていたのだし早めに戻らねば…と急ぎ足でジガケへ戻る。

が、到着するとすでに蛇の頭をやぐらへ据え付けるところだった。今回は全体的に出遅れている感があるな…。

 

ジガケの広場(?)は地域の方がテント下にいて見学者は敷地内の物が置いていないところか脇の道にいるしかないが、混み合っているわけではない。

次回は、あらかじめコンビニでパンでも買って昼頃は張り付いていよう、と学んだ。

余談だが、ジガケの最寄コンビニはゴリラの置物があったり南国風な植物が生えていて、なんだか建物も個性的なセブンだった。

 

なお、据え付けは、完成した蛇を丸ごと持ち上げるのでなく胴は胴で据え付け、頭は後から引き上げて付ける

木にはしごをかけ、滑車を使って大きな構造物を持ち上げているのを見ると、植木の移植作業のようにも見えてきて「もしかしたら植木屋さん的な技術も活かされている…?」などと考えながら設置を見ていた。

 

蛇に込める祈り

記事の前半で挙げたように、藁蛇を作る行事というのは全国的にみられる。

今回訪れた埼玉のなかだけでも、作った藁蛇を担いで回る地域や「フセギ」として村境に掛ける地域、「オビシャ」と同時に蛇造りを行う地域などさまざまだ。

「フセギ」とは

集落の入り口のほか、外部とつながる辻・峠などの“境界”に結界となるものを設置することで厄災の侵入を防ぐまじない・行事のこと。

設置する呪物としては注連縄・札のほか藁蛇・草鞋・人形などの例がある。

 

「オビシャ」とは

的を射て当年の豊凶を占ったり厄除けをするほか、(的を射る部分が略されたのか元からなのか)町の当番継承・直会のみを行う地域もある。

蛇を伴うオビシャには、三郷市 大広戸香取神社のオビシャ(大広戸の蛇まつり)のように蛇造りがメインのもの、彦糸の蛇祭りのように蛇造り+的を射る行事がみられるものなどがある。

 

多くは疫病退散や五穀豊穣を願う行事で(というより、かつて願いといえばこの2つは外せないものだったと思うので)安行原の蛇にもそうした願いは込められているだろう。

 

①祈祷札

そんな願いがうかがえる、蛇のパーツについてみてみようと思う。まず、上下のあごを合体させている中でちらっと見えたのが口の中の御札だ。

これは近くにある寺院・密蔵院さんの祈祷札だ。正面から明瞭に撮れた写真が無かったので、撮った写真を複数見比べながら図にしてみた。

蛇の口の中にあった御札の図

中央には「奉誦念佛壱百万遍諸願成就祈願」と書かれていた。そして、その両脇には「天下泰平 無病息災」「五穀豊饒 景況好転」の文字。

読んだ資料では「万民豊楽・交通安全」「地区内安全」と書かれた札、とあったので、祈願文の内容は年によって変わるようだ。

下には山壽海満福 密蔵という文字が見えたので、(下の方は蛇のあごに埋まって見えなかったが)「密蔵院」と山号の「海壽山満福寺」と書いてあったのだろう。

上部に書かれた梵字は「キリーク」だった。阿弥陀如来や千手観音を表す種子(種字)だ。

 

密蔵院さんの御本尊は延命地蔵菩薩で、中央に押された印のほうは地蔵菩薩の種子「カ(𑖮)」にみえる。

たしかに、密蔵院さんは本堂の中にご本尊以外にも阿弥陀如来はいたけれど…本尊とか関係なく、祈願札の内容に合わせて中央上部に書く種子を選ぶのだろうか?

(御札には全く詳しくないので、梵字の配置の仕方?など、もし分かる方がいたら教えていただきたい…)

 

それにしても、蛇を作った後に百万遍をやるとは聞いていたが、御札にも百万遍と書いてあるとは知らなかった。百万遍自体は供養のほか疫病除けとして行われることが多い印象がある。

図書館で読んだ『 SERIES文化財NO.4 水辺の信仰 安行原の蛇造り』でも、この百万遍の札は埼玉で広く行われている春祈祷・夏祈祷と関連付けられ「村から悪いものを追い払う」ものではないかとしていた。

 

②男根型の飾りと剣

そして反対側、尻尾の先を見てみると…男根形の飾り・刀が結び付けてある。

蛇の尾につけられた飾り

男根型の飾りは、かつて「ケヤキの木に早苗と籾の袋を付けた」という。

見たところ若々しい葉っぱは見えないので、今は早苗でなく藁なのかもしれない。籾も、資料を読むと「現在は籾殻を使う」と書いてあった。

早苗は、苗代から田んぼへ植える小さな稲の苗のこと。籾は、まだ殻に包まれた状態の米のこと。いずれも、稲作をしていなければ手に入れにくいので代用するようになったのだろう。

早苗は、これから育っていくもの。籾は、新しい命のもとになるもの。これらをあしらった男根には、きっと豊作の祈りが込められているのだろうと思う。

 

短剣は、資料によっては懐剣と書かれているので、そうだとすればこちらは魔除け・厄除けなのだろうか。

前回のジャガマイタ以外にも蛇(龍)の尾に剣が付いているものはあるが、日本神話に登場する剣のような形状が多いイメージ。これは、短剣の例も探して意味が伝わっているか知りたい。

 

百万遍のスピード感

お神酒と百万遍数珠

蛇がケヤキに据え付けられた後は、御神酒が供えられ、最後に百万遍が行われる

なお、「集合時間に鳴らす」という鉦は百万遍が始まる際にも鳴らされる。普通にいつでも叩ける感じで置いてあるのだが、江戸時代の物らしい。

 

ちなみに、私は百万遍念仏というと、御堂でおじいちゃんおばあちゃんが正座をして車座になり、大数珠を回しながら黙々と念仏を唱える様子を想像する。

が、安行原の百万遍は違った

蛇造り後の「百万遍」

成人男性たちが立ったまま輪になり、焚火を囲んで百万遍数珠を揉みまわしながら「なんまいだ、なんまいだ、なんまいだ……」と高速で唱える。回すのも結構早い

そして突然、「ヨイショ! ヨイショ! ヨイショ! 」という掛け声とともに、全員で数珠を円の外側に向けて引っ張る!


www.youtube.com

実は、図書館の資料に「百万遍の数珠が切れると稲がよく育つ」と書かれていたのだが、読んだ時点では「百万遍で数珠が切れることなんてあるのか?」と思っていたのだ。

この瞬間によく分かった。なるほど。これは切れそうだ

 

最終的に切れなかったのだが、周りにいる子どもたちのなかには「ちぎれろ~!」と言いながら見ている子もいたので、ちぎれることもあるのだろう。

 

二十四日は“地蔵”の日

行事の始まりについて明確な文献や口伝がないということで、「なぜこの日なのか」もハッキリはわからない蛇造り。

ただ、安行の町にはぽつりぽつりと石仏があり、ジガケの広場の奥にもお地蔵様があったので「もしかしたら地蔵の縁日か」という気がした。

神様や仏様というのは「〇日が、この仏さまと特別なご縁がつながる日ですよ」というのがある。これを結縁日などといって、略して縁日。お地蔵様の縁日が、毎月24日なのである。

ジガケの地蔵菩薩・庚申塔

こちらが、蛇を作っている奥にたたずんでいた地蔵尊と庚申塔。地蔵尊の光背に彫られた文字を見てみると享保6年(1721年)とあった。

これは、同敷地内にある享保16年の庚申塔・天保2年(1831年)の出羽三山供養塔よりは歴史があるが、鉦よりも新しいということになりそうだ。

(鉦は、施主として名前が記された人物が正徳5年(1715年)に無くなっているためそれ以前に奉納されたものだろうと『ふるさとの民俗文化』に書かれていたのをもとに考えている)

地蔵講は「立ち上げたときに地蔵菩薩像を作る」というわけではないので、もともと地蔵信仰がある土地で蛇造りが始まって、のちに石仏を作ったのでも不自然ではないが…。

と思ってウロウロしていると、車道を挟んではす向かいあたりにも地蔵堂を見つけた。

安行原 地蔵堂の石仏

こちらの方がはっきりした目鼻立ちだったので新しいのかと思いきや、光背には「延宝二年」の文字。1674年なので、広場にあったものよりも古い

だから何か確証を得たというものではないが、蛇造りに関するもの(で年代が推測できるもの)より古い時代から地蔵信仰が根付いていたらしいことはわかった。

 

地蔵尊というもの自体、塞の神と同一視されることもあり村境や辻に置かれることも多い。もし地蔵の縁日にフセギの蛇を新調するのだとすれば、そのつながりは気になるところ。

今回は見逃してしまった部分も多々あったので、また行って情報を補完していきたいと思う。

大ケヤキと蛇