とまのす

寺社に行ったり、祭りを見たり、ちいさくゆっくり民俗さんぽをしたりします。

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門松というよりも「門竹」ではないかという話から。

橘神社の大門松

みなさんの地域は、門松や正月飾りを何日頃に片づけただろうか?松飾りが出ているあいだを「松の内」と呼び、松の内は年末にいらした歳神様が各家に滞在している期間とされたりする。管理人がモタモタしているあいだに、そんな1月も終わり、それどころか気付けば節分も過ぎてしまった。

今回は、年末年始に友人としていた「門松は、もはや竹目立ちすぎて“門竹”」という話がジワジワ来ているので、帰ってきてから門松について調べたことを少しまとめておこうと思う。

なお、トップ画像には長崎県雲仙市千々石町にある橘神社の「大門松」を使わせてもらったが…長崎に行った話ではないので悪しからず…。

竹への違和感

30代も中ごろに差し掛かるので、物心ついて30回以上の正月を迎え、門松も見慣れてきた。と、思っていた管理人に京都の友人が言うのだ。

門松は“門松”のくせに竹が目立ちすぎなのでは?」

大して考えたことはなかったが、まぁたしかに今回のトップ画像をみてもそうかもしれない。門松全体に高さがあるので松もまぁまぁ目立つとはいえ、竹の存在感がすごい。竹はもはや門松のアイデンティティといっても過言ではないかもしれない…。

道に松のない門松(?)があっても、3本の竹さえあれば「門松かな」と思うが、逆に竹がない門松を見たら「何だこれ?斬新な寄せ植えだな」と思う可能性まである。

なぜここまで竹が目立っているのか…そう思い始めたら、主砲のごとく堂々たる竹に謎の違和感を抱かずにはいられなくなった。

門松は松に限定されるのか

急に湧いてきた違和感の理由を知るため図書館に向かう管理人だが、あまりにも竹が堂々としているのでやや不安になってきた。どういう不安かというと、そもそも「実は竹が主役だった」ということはないだろうか?という不安だ。

自分が知らないだけで「竹が松に取って代わる立場になった今も慣例的に門松と呼ばれている…」なんてことはないだろうか。一応、前提として門松の主役は“竹”ではないよね?という所を確認していく。

まず、近代・現代の状況を見ると門松に松を使わない地域はあるらしい。もちろん松を使う地域が多いのだが、有名どころの民俗学者・柳田国男先生は『門松と民俗』で門松に用いられる植物について下記のようにまとめている。

  • 常緑樹(常磐木)が多いが、必ずそうとは限らない
  • 信州の西部山間部では柳をたてる
  • 椿を立てる地域もある
  • 常磐木でも杉や樅(モミ)を立てることはない
  • 門松をまったく立てない地域は非常に数が少ない
  • 松でないものを立てる地域は4分の1から5分の1ほどと思われる

また、ほかの本では門松に用いられる松以外の木として下記が挙げられていた。

  • 榊(サカキ)
  • 椎(シイ)
  • 杉(スギ)
  • 楢(ナラ)
  • 樫(カシ)
  • 椿(ツバキ)
  • 朴(ホオ)

「門松なのに松じゃないんかーーーい!」と言いたくなるが、正月に入口などに飾る植物はかざり松・お松さま・拝み松といった松に関連する名前だけでなく、地域によってはかどばやし・門木(かどき)などと呼ばれることもあるという。

なお、松を使用しない地域では単に「松よりも特別視されている木があるのでそちらを使っている」という場合もあるが、下記のような理由で「松に代えて別の植物を使う」と説明されている場合が多いそうだ。

  • 気候・地質的に松があまり自生しない
  • 鎮守社の伝承などにより地域で松が忌まれている

いずれにしても、今回いくつか本を読んだ限りでは門松において「竹が特別視されメインになる」地域は無いようだ。

「竹が目立ちすぎ」問題

では、メインではないにもかかわらずなぜ門松は竹のほうが目立つビジュアルなのか…そう考えたときに、折口信夫先生の『門松のはなし』に行き当たった。こちらは、図書館に行かずとも青空文庫で読めるのでぜひ実際の文章で読んでみていただきたい。

青空文庫 「門松のはなし」折口信夫
(底本:「花の名随筆1 一月の花」作品社)

ここで折口氏は「東京では竹が目立つものが多いが、これはかつて勢力を持っていたものが全国的にまねられたものだろう」としたうえで「地方ではお国風で松が主となっているものなども見られる」と言っている。

つまり、地方に残っている“松メイン”の形がかつての形に近いのではないかということのようだ。たしかに、江戸時代に描かれた大名屋敷の正月飾りなどを見ても、門の両脇に松の枝が植わっているような感じのものがある。

では、折口氏の言う“お国風”がどのようなものだったかというと、著書『花の名随筆1一月の花』で言及された「栗や楢の柱に注連縄を張り、その下に松を立てる門神柱(あるいは男木)」などがこれにあたると思われる。

文章だけで「門神柱(男木)」を想像してみてください…と言ってもアレなので描いてみた↓が、正確に折口氏が見た門神柱がこうであったかはわからない。

「門神柱」想像図

文中に書かれたものは「三河・遠江・信濃の国境に近い奥山家」で見たものだということで、三国の国境とは今でいう飯田線の小和田駅付近だろうと思う。そのため、その周辺にある浜松市水窪民俗資料館の古民家に設営されてる男木を参考にしてみた。

折口氏の言う「やす」については、上の図にも描いてみたがよく見えないと思うので、以前に書いた記事「命の源、泥宮(どろのみや)」の記事に使った写真を貼っておく。

おやす(泥宮にて撮影)

折口氏はこの文章のなかで「今の門松は、此、門神柱の柱が竹に変り、その頭部が削がれたのだと考へてよい様です」と結論付けている。この説を採るとすれば、現代の門松で松よりも目立っている竹は、もともと前述のような形式の門松(門神柱・男木)のうち、松を括りつけている「柱」だからこそ松より背が高いのは必然ともいえそうだ。

なお、文章からすると折口氏が見た男木には竹がなかったようだが、先ほどの絵の参考にした浜松市水窪民俗資料館の男木には竹も括られている。こちらも描いてみた。水窪では柱にを用いて、そこに竹や松を括るそうだ。

浜松市水窪民俗資料館の男木(イラスト)

※水窪の男木について設置の様子や周辺の様子を知りたい方は、ケーブルテレビ局「ウィンディ」のYouTubeで水窪の正月について取材した回があったので、こちらも観てみてほしい。

こうしてみるとそもそも竹は松より高い。が、個人的にはあまり水窪の男木には違和感は覚えない。あくまで感覚的な感想になるが「松が脇役のようだ」という違和感をおぼえるのは、竹の高さというよりむしろ、松を支える支柱のような存在だった竹が太ましく3本も束ねられて真ん中で堂々としているからなのかもしれない。

また、水窪の男木だけでなく我が群馬県の郷土資料で昔の門松をみても、門松はそこに植物が生えているかのようにワッサリとしたものも多い。竹も、単なる竿のような感じでなく枝葉が付いた状態で用いられることも多かったようだ。

そう考えると、葉が付いた部分を切り落とされてただの太い棒が立っているという自然ではない様子も違和感の原因だったのかもしれない。

というわけで、管理人のモヤモヤが少し晴れたので、あとは竹ではなく松に関して長めの余談をしたい思う。余談とはいっても、根引き松の話や「門松の松はどこから取ってきていたのか」という話なので、お時間あればぜひ。

余談①「根引きの松」のこと

冒頭で門松に疑問を呈した友人は、その話のなかで「根引き松なら門松という名前でも納得感があるが、最近のアレは…」と話していた。この根引き松について少しお話しておきたい。

根引き松(下の画像)とは、門松の原型とも言われている正月飾りの一つ(管理人は、京都でしか見たことがない)。門戸に松のみを飾るシンプルなもので、「門に飾る松」なのでたしかに門松という感じもする。

しかし、これ自体が門松と呼ばれることはないらしく「根引き松」と呼ぶ。一般的な名前でまとめるとすれば根引き松は門松ではなく「松飾り」というカテゴリーになるのだろうか。

根引き松(京都府で撮ったもの)

根引き松の松は、かつては「小松引き(子の日遊び)」で抜いてきたという。小松引きは年が明けて初めの“子の日”に野外へ出かけ、松の若く小さなものを抜いて(引いて)くるという風習だ。

とってきた松は、当初は庭などに植えて長寿を願ったともされる。それが門戸に飾られるようになったのが根引き松であろう…というのが、この根引き松の概要だ。ただし、現在は根引き松用に根の付いた小さな松を出荷している農家さん(業者さん?)があり、自分で抜いてくる人は少ないだろう。

余談②群馬の松飾りのこと

ちなみに、管理人が住む地域(群馬)でも古くからの商店などは、根引き松に近い形で門戸や店の出入り口にシンプルに松を飾る場合がある。しかし、大きく異なるのが“根引き松”は名前どおり根が付いていることだ。うちのほうは、枝先を切ってくるので根は付いていない

なお、現在はわからないが、この「切ってくる」のは庭に生えている松をチョキンと切って飾るのではない。基本的に、松迎えといって地域ごとに決まった日や決まった方角から取ってくることが多かったと聞く。

その一例として、群馬の郷土資料のひとつ『沼田万華鏡 第17号』に収められた金井庫治さんの「正月の門松とお飾り」に詳しく書かれたものを紹介したい。

この資料自体が1981年(つまり、管理人が生まれるより前…)に刊行されたものなので、今もこの方法で松迎えをしているかは不明だが、群馬県沼田市下川田平井地区の事例だ。

まず、松迎えをする(松を切ってくる)日はある程度決まっている。12/13・15・21のいずれかに家の「すすはき」を行うが、このときに煤を払うために使用する煤竹を山から取ってくるので、それと同時に松も切ってくる。

山に入るときは米と小魚を持ち、入り口で十二山神に供えるという。ここでははっきり「山神」と書かれているが、十二様などと呼ぶこともあり、これもやはり山の神様を指す。

松も、どのようなものでもよいというのではなくクロマツで、芯を避けて枝だけ取る。枝の形は、飾ったときに枝が真中に伸びている状態になるものを選ぶ。そしてサイズだが、これは飾り全体の高さによって決まるらしい。

この地域の飾りでは「お松杭」と呼ばれる杭(くい)を門の前に立てて、そこに松を括るように設置するが「杭の長さに応じて三・五・八・十二蓋松などを使う」という。耳慣れない言葉かもしれないが例えば三蓋松(さんがいまつ)とは房のようにまとまった松の葉が3段分付いたサイズの枝ということになる。

注連縄も然り、境界のような場所には割り切れない数を使用することが多いので…3・5の次が7ではないのは少し意外だが、12は山神様との関連だろうか。

なお、このお松杭の両脇にを添えるように立てるが、杭よりも1mほど高くなる長さになるよう切って来るそうだ。ここでも、やはり一番高いのは竹ということになる。竹を切って来る日は、12/27または28。28日に設置するようなので、煤竹や松を取ってきた日とは別に設置の直前に竹をあらためて取りに行くことになる。

こうして材料を集めて年末に作られた飾りは、1/13のどんどん焼きで燃やす。

余談③再び「門松と民俗」から

記事の前半で「門松といっても松以外を使う地域もあるよ」という話題のときに参考にした柳田国男先生の「門松と民俗」でも、松迎えについて記載した部分があった。

そちらで紹介されている松迎えも「12月に入ったら決まった日に山に生えている松の枝を切って迎える」という大枠は同じようだが、群馬県沼田市の習俗とは異なる部分や追加の情報もあったので最後にそちらも紹介して終わりたい。

まず、松は特定の場所から切ってくるという決まりはないが、恵方(あきの方)の、自分の村より高い場所から切ってくるとする山村が多いそうだ。

さらにこの恵方について「今でこそ暦で全国共通の恵方があるが、東北の一例では冬のうちに注意して雷を聴き、最後に雷が鳴った方を恵方とする地域があった」という話も興味深い。

松を切る時には一寸ひねりくらい、または餅などを持っていき、拝んでから切ったという。これは「一寸ひねり」で一語ではなく「ちょっと、おひねり(紙に包んだ白米)くらい」という意味だろうか。

つまり、こちらの事例では山に入るときにお供えをするというより松を切るタイミングでということらしい(群馬の事例も、山に入るときと切るときどちらもやっている可能性もあるが)。

そして、こちらでも「以前は随分早く切った」という前置きとともに、12/13に松を切ていたと紹介されているが。「萎れてしまうので、飾る3日前ほどに切ることになった」と儀礼というより飾る側の事情も描かれていた。

なお、こうして切った松は持ってきてすぐには立てず、土蔵や井戸のそばなど清浄な場所で簡単におまつりするという。そして大晦日の晩に立てるらしい。
※ちなみに、「沼田万華鏡」でも切ってきた松を置いておくのは同様の場所だが、理由としては土蔵や井戸のそばは涼しく日陰であり「松が枯れにくいから」のようだ

この「門松と民俗」のなかで柳田国男氏は、松を「迎える」というのは(少なくともある時代では)単に木を迎えるのでなく木に宿られている春の神様を迎えていることになるのではと述べていた。

この春の神が歳神様と同じものと想定されていたかはわからないが、歳神様とは別に「お松様」など松そのものを敬うような呼び方をする地方があるのも、そのせいなのかもしれない。

では、余談が本題並みの長さになってきたので…今回はこの辺で。


今回いくつか本を読んだり調べものをしたなかで、今回紹介しなかったものもあるので…この記事の付属記事のような形で近々あげておけたらと思う。