今回の記事では、以前から行きたいと思っていた長野県下高井郡の「野沢道祖神まつり」に行ったこと、地元に帰ってから小正月や道祖神の祭について少し本を読んだことを書いていきます。
「道祖神祭り」とは何なのか
一言にまとめようと思っても、地域によって名前もやることも多様で「こうゆうのが道祖神祭り」とは言いにくいというのが正直なところ。
そもそも道祖神は呼び方や性質・姿にかなりのバリエーションがあるので、神様自体も一言にまとめにくかったりする。
名前に関しては、道祖神(どうそじん)やドウロクジンとよばれるほか「地域や道の境界で悪いものが入って来ないように塞ぐ神」という性質から塞(さえ、さい)の神と呼んだり、各地域で独特の名称を持つ場合もある。
そして、性質は上記のとおり悪いものを通さないよう「塞ぐ神」のほか、男女の縁に関わる神、五穀豊穣の神とも。
祀られる姿については単に「道祖神」と書かれた石の場合もあれば男根に関連する自然石や構造物の場合もある。また、信州を中心として男女一組の神として表現されたりもする。
なお、小正月(旧暦1月15日)あたりに行う道祖神祭りでは、祭りで燃やすために竹や藁で作った一時的な構造物を「道祖神」と呼んだりもする。
ちなみに道祖神に関わる祭りの名称もさまざまで、今回訪れたのは「道祖神祭り」だが地域の方のなかには火祭りと呼んでいる方もいるようだ。
また、私の地元・群馬でこの時期にやるバーニング系の行事といえば「どんど焼き」で、行事の名前としては「道祖神」を冠しない地域も多い。
ただし群馬の郷土資料「上州路 No.368」によれば「道祖神はどんどん焼の煙に乗って帰る」と伝わる地域もあるそうで、行事名に“道祖神”と付かなくとも小正月の行事と道祖神の結びつきは強そうだ。
いざ、野沢温泉村 道祖神祭りへ

「野沢温泉村の道祖神祭り、見たいなぁ」と長年思ってはいた。しかし、このブログを読んだことがある方はご存じのとおり、自分は運転ができない。
なので長年しり込みしていたが、今年は「道祖神祭り行かない?」と誘ってくれた知人がいて…ついに行けるチャンスが!!!
ちなみに道祖神祭り当日の1/15は雪が降っており「ですよね…」という感じではあった。
この道祖神祭り当日の流れをかなり端折って説明すると、まず、祭りの運営は主に厄年の男性が行う。その代表者が祭りに使用する火をもらう「火元もらい」を行ったら、その火は村内の祭り会場へ向かう。
そして、火に先んじて「初灯籠」という巨大な物体↓が会場に到着。運ぶためにいくつかのパーツに分かれていた初灯籠は、会場となる広場で組み立てられて四方から縄で引くようにしながら空に向かって立ち上がる。
巨大な柱が立ち上がる様子は、同じく長野県で数年前に見た御柱まつりの御柱立てを彷彿とさせるものがあった。
(道祖神祭りの社殿を作るために村の共同林から木を切り出して会場に運ぶが、これも御柱祭で柱を山から里へ出す場合と同じく「里曳き」というようだ)
ちなみに、この初灯籠は本来「集落の中で前年に男児が生まれた家」が奉納するものだったらしいが、きっと以前よりも子供の出生数も少ないのだろう。個人名で出された初灯籠は一つで、そのほかは地域の小学校やスキー場が出したものだった。
なお、この祭り会場の奥には前日から当日昼にかけて組み立てた堂々たる社殿が建っている。ここで、今年厄年を迎える男性たちは火の到着を待ち構えるのだ。
そして、会場に火が到着すると、手に持った麻の枝に火を灯して社殿に放火(?)しようとする住民と、社殿を守ろうと葉のついた松の枝でその火を叩き消す厄年の男性たちとの壮絶な攻防戦となる。
なお、松明となる麻の枝?茎?はこんな感じ↓で割り箸のように硬い。これは、当たるとかなり痛いはず…。

祭のなかでは「社殿に使う柱はブナ」など、重要な部分に使用する材は何の植物を使用するかが決まっている。この皮をむいて白く乾いた麻についても何か意味があるのだろうかと思い、色々本を読んでみると下記のような記述もあった。
それはこの祭が創始された昔この地方で麻の栽培と麻織がさかんに行われていたことをも物語ってくれる。
田中康弘「信濃の道祖神―愛のかたちと祭―」
麻は刈り取った後に茎の皮を剥いで、そこから麻糸のもととなる繊維をとっていく。つまり、今はわざわざ皮をむいて作っているが、糸を作る過程で廃棄される中心部分がこの松明に使う麻だという考察だろう。真偽を確かめる術はないが、なるほどと思う。
さて、話がズレたが火付けの攻防では「厄年の男性が社殿を守り切る」というパターンはなく、必ず最後には社殿に火を点ける。夜22時過ぎには社殿は全焼し、じきに燃え落ちていく。
祭りの最中は火が燃えているので視覚的にはかなり温かいが、実際には全く温かいはずもない。自分もからだ中に合計8枚のカイロを貼って、ヒートテック&ズボンとアウター各2枚重ねで挑んだが、3時間ほど震えながら見ていたせいで全身が筋肉痛になったのであった。
群馬の小正月のことを読んでみた
今回は日程にもあまり余裕がなかったので、長野で地域の図書館に寄ることはできなかった。しかし、帰ってから「せめて、小正月にどのような習わしがあったのか地元(群馬県)のことだけでも調べるか…」と図書館へ。
そもそも、今となっては「正月」といえば1/1元旦のことで、1/14の小正月はすでに仕事始めも終えて日常に戻っているという方も多いだろう。しかし、昔は元旦から始まった年初めの行事が小正月の頃まで続いたという。
郷土資料の一つ「群馬歴史散歩 No.176」を見てみると、日付とともにいくつかの行事の内容が綴られていた。ザックリとした内容には下記のようなものがある。
【1月2日】
山始め。恵方の山へ行ってマユダマを刺す木を切る(はやす)。マユダマとは米粉や糯米で作った団子状のものを木の枝に飾り付けた飾り物のことだ。
※ここでは1/2に山に入っているが、年が明けて初めて山に入る「山入り」は地域により元旦・1月6日など差がある。
【1月6日】
六日爪といって、新年に入って初めて爪を切っても良い日とされた。この日に、切って(はやして)きた木の小枝を鋭利に削り、マユダマを刺せるようにした。
伐ることを「はやす」というのは方言などでなく、猿が「去る」に通じるからとエテ(得て)と呼ぶのと同じ理由かもしれない…と思ったり。
【1月14日】
この日を「丸め年」といって、マユダマ飾りをして年取りをした。
そのほか、吾妻郡ではオッカドの木で道祖神(2体1組)を作ったり、六合・長野原では14日の夕方までに道祖神を作り、年取りを供えてからオンベヤア(どんど焼き)へ持って行ったという。
この日に行われる道祖神以外の行事としては「オシラマチ」がある。こちらは養蚕とかかわりが深い地域によくみられる、オシラサマの行事となる。
【1月15日】
この日は小豆粥をカユカキボウ(粥かき棒)で混ぜ「水気が多いと田植えのときに水がある」といった。また「カユカキボウに挟まった米が多ければ稲、小豆が多ければ雑穀が豊作の年になる」という地域もある。
全国的にも小正月ごろに「粥占」を行う神社などがあるが、パターンは色々。カユカキボウのように棒状のもので粥を混ぜてひっかかった穀物の種類や量で作物の出来を占うタイプのほか、粥を放置してカビの生え方で占うタイプもある。
なお、この日の粥は「吹いてはいけない」とすることが多い。吹くと「田植えのときに風が出る」「幸せも吹き飛んでしまう」といった言い習わしがある。そのため、熱くても吹かずに食べるという。また、粥を混ぜたカユカキボウは水田の水口に供えるという地域も。
今回は小正月に関連深そうなものを拾ったが、もちろん6日前後など例に挙げなかった日にも地域によってやって良いこと・やるべき行事などが決まっていたようだ。ただ、多くの地域で「他のこともやりつつ、14日に向けてマユダマなどを段階的に準備していく」という感じがある。
図書館にはほかに「無形の民俗文化財記録 第7集 越佐の小正月行事」という本もあったので読んでみた。
やはり群馬以外でもいろいろな習わしがあり、「大正月の10日間は一切ごみを捨てることができないため10日に煤掃きを行ったりする」という。
また、小正月にはタラノキを縦に割って山の神様ともいわれる「十二月様」というものを作るそうだ。
さらに、越後でも1月15日にサイノカミの行事を行っていた。正月の松や飾りなどを集めて「サイノカミ」と呼ばれる構造物をつくり、やはり燃やすのだという。
小正月行事としての共通点
群馬(と、少し越後)の小正月について読んだところで、もういちど野沢温泉道祖神祭りのことを思い出してみる。注目度が高いのは、やはり独特な迫力がある火祭りの攻防戦だろう。
しかし、それ以外の部分では今回本で読んだ他地域の小正月行事との共通点もあるので、この3点について少しメモしておきたい。
- 道祖神を作る
- 穀物の出来を占う
- 道祖神の火で餅を焼く
道祖神と呼ばれるものを各家庭で作って、道祖神の祭り・どんど焼きなどと呼ばれる行事に持ち寄る地域は多い。
野沢温泉道祖神祭りに行くと、街中やペンションの受付などで男女の絵が描かれた1対の丸太状のものがある。これが、野沢温泉村の道祖神だ。

以前は各家庭で1組を作り道祖神祭りに持ち寄って他の家庭と交換したり火にくべたりしたという。
ただし、今年の信濃毎日新聞を読んでみると「今もご神体を作る家庭はあるとみられる」という言い回しがされており、既に多くの家庭は個々で道祖神を作ってはいないのかもしれない。
また、同記事によれば「2000年頃から観光客向けに一部の村民が道祖神を作ってきたが、手間がかかるが生計を立てるには十分ではない作業であり後継者は減っている」という。
ありえないほどの数の外国人旅行者がひしめく人気の祭りも、家庭単位や地域の人からみれば行事の一部は存続が危ぶまれているのか…と思ったり。
さてもうひとつ、前述のとおり小正月には穀物の出来を占う地域も多い。観光客に配られているまつり日程には記載がないので注目はそれほど集まらないが、野沢道祖神祭りでも「小豆焼き占い」をする。
これは、燃えた社殿の燠を持ち帰って囲炉裏に火を熾し、そこに小豆を3粒乗せたかわらけを焚べるというもの。小豆の動きで今年の天候をはじめ数十種類の作物の出来を占う行事だ。
かつては社殿が燃え落ちたら15日の夜のうちに、現在も「火元もらい」を行っている河野家で小豆焼き占いを行ったそうだが、現在は火祭りの翌日にあたる16日に野沢組惣代事務所で行われているらしい。
そして最後に、道祖神の火の燃え残りで「餅を焼く」というのも、多くの道祖神祭り・どんど焼き、そして野沢道祖神祭りにも共通する習わし。
15日の夜に社殿は全焼して燃え落ちるが、大人が数人入れるほどの小屋が燃えたわけなので、火は翌朝まで小さく燃え続ける。この火で、翌朝に餅などを焼いて食べると無病息災で一年過ごせると言われるのだ。
実際、翌朝自分が帰路に就くころに祭りのあった広場をみると、地域の方らしき人だかりができていた。餅を焼いているのだろう。
なお、管理人は寒さのせいか餅を焼いて食べなかったせいか、帰宅後に扁桃炎になったうえに1か月にわたりお腹を壊していた。久々の遠出だったが、やはり虚弱さは健在であった…。
余談:DOSO GINが飲んでみたい
管理人は普段あまり飲酒をしないが、以前に野沢温泉蒸留所さんのIWAI GINという商品をいただく機会があった。
春らしい良い香りで印象に残っているが、先日道祖神のことを調べているときに野沢温泉蒸留所でDOSO GINという商品を限定販売していることを知ったのである!
Doso Ginnozawaonsendistillery.jp
残念ながら現在は売り切れのようだが…道祖神祭りの時期が近付けばまた販売されるのだろうか。
冬のスパイスのほか、日本の冬になじみ深いほうじ茶、道祖神祭りで社殿の柱にも使用されるブナの木で香りを付けたという品らしい。これはとても気になる…。
ということで、今回はこの辺で。
参考文献
今回お世話になった本はこちら。
『上州路』第32巻(No.368)
小山宏(山屋宏之)「小正月のつくりもの キジ車考」
『群馬歴史散歩』第176号
阪本英一「正月行事いろいろ」
柳井久雄「わが家の正月行事の昔と今」
横山栄一「正月・今と昔」
恩田さく「わが家と粕川村・その周辺の正月行事と伝統食」
阿部功「高崎市京ヶ島地区の年末年始行事」
新潟県教育委員会 編『無形の民俗文化財記録 第7集 越佐の小正月行事』
田中康弘『信濃の道祖神―愛のかたちと祭―』