※この記事は、過去に「いろとりどり、とどりの鹿踊 Part1」として投稿したものを整理するため分割・再編したものです。
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東京のイベントで知った、岩手の「都鳥鹿踊」さん。ぜひ奉納で踊っているのも見てみたい!ということで達谷窟毘沙門堂の大將軍會へ行った話。
⚠Attention
この記事のタグは「岩手-6月」ですが、達谷窟毘沙門堂 大將軍會は「旧暦5月23日固定」なので、7月に行われる年もあります。公式サイトにて、今年のスケジュールをご確認ください。
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達谷窟へ、鹿たちに会いに

前回お伝えした鹿踊ライブ「風とう鹿」の2か月ほど後になるが、2024年6月に管理人が訪れたのは岩手県の平泉町・達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂。
この日は、旧暦5月23日。この毘沙門堂を創建したとされている征夷大将軍・坂上田村麻呂の御命日らしい。ということで、毘沙門堂の別當 達谷西光寺さんで「大将軍會」が行われる。この法要の後に金堂前で鹿踊を奏上…という流れだ。
ちなみに、都鳥鹿踊さんの本拠地は奥州市の胆沢南都田(いさわ-なつた)なので、平泉までは車でしばらく移動するレベルで離れている。しかし、毎年踊りを奉納するのは「関わり深い場所だから」とのことだった。
調べてみると、都鳥鹿踊は「達谷窟の中津川清左衛門という人物から伝授されて始まった」とされているので、“関わり深い”とはこうした縁のことなのだろう。
ふと、「それなら達谷窟地域の鹿踊も別のタイミングで奉納しているのか…?」と思ったが、後で調べたら達谷窟鹿踊はすでに廃絶してしまったと書かれていた。
袴(はかま)のこと

境内に着いてみると…「まだ時間があるから、装束と道具を見ていていいよ」と言われた。おおぉ!ライブで見た装束に触れるチャンス!
壁に立てかけてあるのがササラ。そのわきには赤い胴の太鼓。
左に見える蓮の絵が描いてある布のようなものは、仲立の袴。
そして、太鼓の右に畳んであるのが、仲立・女鹿以外の鹿が履いている袴。黒地に赤と黄色で牛車の車輪(地車・源氏車)が染められている。
踊っている状態のフル装束をみると袴はどっしりした印象があると思うが、胴の部分は一般的な袴と変わらず履く人に合わせて締められるので意外とシュッとなる。実際、ちょっと時間があったので履かせていただいた。

こんなかんじだ。
で、私が手を添えているのが、先ほどの写真で蓮が描いてあった部分。裏地は紺地に白の麻の葉模様で、これが踊っているときにチラチラと見えるのもまたオシャレ。後ろからの写真はコチラ。

まさか着られると思ってなかったので、上半身が全然マッチしていない格好で申し訳ない。
(いや、逆に「大口袴にマッチするファッション」とは?)
で、鹿踊では、この袴を「大口袴(おおぐち-ばかま)」と言ったりする。能などでは「裾がすぼまっていない幅広の袴」を大口袴と呼ぶので同じ意味だと思っていたが…岩手の郷土芸能である鬼剣舞では、袴の後ろについた厚手の「絵が描いてある部分」自体を「大口」と呼んだりするらしい。
もしかして、鹿たちの着用している大口袴も、「裾が大口な袴」ではなく「後ろに大口が付いた袴」のことだったりするのだろうか。
余談だが、女鹿の大口袴の図案は幼少期の坂田金時(金太郎)だ。熊も一緒に描かれているのだが、この熊が「鼻だとは思うけど口にしか見えないパーツ(もしかしたら本当に口かも)」があってヘタウマな感じが味わい深い。
ぜひ、奉納を見る機会があったら熊も探してみてくだされ。
ウワザイを見る
太鼓踊系の鹿踊というのは、カシラの頭頂部または後頭部に「華鬘(けまん)」という大きな飾り結び↓が付いていることが多い。この赤くて太い紐。

「小さくてよく見えないんだけど…」という人用に、こちら↓もどうぞ。上が春日流八幡鹿踊、下が行山流舞川鹿子躍をルーツとする東京鹿踊の鹿さんです。

で、管理人的には「華鬘があるほうが多数派」なイメージだけれど、都鳥鹿踊は華鬘がない。
シシのたてがみ?かみのけ?のような黒い長い毛を「ザイ(采、と表記したりもする)」と呼ぶわけだが、都鳥鹿踊のは頭頂部までザイが見えていて「ウワザイ」と呼ばれる。(毛そのものをウワザイと呼ぶというより、このザイの付け方の名称かもしれない)
華鬘がないので、ザイがどう付いているのかよく見える。毛を束にしたものを、少し編んで、両わきをさらに紐で編んである。美しいな。

で、ザイを編んだ紐って、隠そうと思えば見えないところで結ぶこともできそうなのだけど…眉間のあたりにフリンジみたいに結んだ糸の先が見えてる。都鳥の場合は、さらにそこに色とりどりの紐で作ったフサまである。
ザイを結んだであろう紐のフサが眉間のあたりにシッカリ見えている鹿を頻繁に見かけるので、これは「そこに結び目(フサ)があること」自体に何か意味があるんだろうか…と気になることの一つ。
ナガシのこと
そうこうしているうちに、鹿たちはササラと太鼓、カシラを装着してフル装備に。法要が終わって、いよいよ出番!
さっき袴の話をしたけど、踊ってる時は前幕とナガシで袴の絵は隠れがちである。
「ナガシ」とは、鹿たちの後頭部から足元まで垂れた長い布のこと。軍記ものの一場面や仏教・神話的なテーマが描かれることも多い。
が、都鳥鹿踊の仲立のナガシには「冨士麓 行山躍 五穀成就」の文字が書かれている(写真中央の鹿)。
個人的に、こういう装束に漢字がバーンと書いてあるのが結構好きで、特に、この落ち着いた色の地に極太の黒で「五穀成就」はとても好き。
では女鹿のナガシはというと、仲立と色合いは近いけれど赤い字で「豊年踊」と書かれており紅葉・鹿・山が描かれている。(「風とう鹿」での写真ですが…下の画像、画面右側)↓

紅葉というのも、鹿らしくて誠に良い…と管理人は個人的に気に入っている。
なお、都鳥鹿踊も仲立・女鹿以外は武将が描かれている。こんな感じで。

えーと、ナガシも大口袴も武将なので、武将の陰から武将がチラリなかんじだけれど、袴のほうは(隠れてしまっているが)右上に鬼がいるので左下の武将は鬼退治で有名な「渡辺綱」と思われる。
ナガシは…武将が2人。2人と言えば富士の巻き狩りの曽我兄弟?と思ったが、源平合戦の一場面と聞いたので違いそうだ。そもそも、曽我兄弟って仇討の場面ではこんな本格装備じゃないはずだし。
奥の武将は兜の前立てが“笹竜胆”ぽいので源氏の人でしょ、ということしか…。手前の人の前立てが清正の“蛇の目紋”に見えるけど、加藤清正は源平合戦の時代の人じゃないし…。機会を見つけてちゃんと聞こう。
五色?の布
そして、金堂前で踊っている画像に戻っていただくと、ササラの付け根あたりから鮮やかな布がなびいている。コレ↓だ。

このように、ササラの根元のほうに布が結んであるのも「太鼓踊り系」の鹿たちでよく見かける特徴だと思う。
※もっと長くてしっかりめの布をつけている地域があったり、色とりどりでなく単色の布を結んでいるところもある。
以前に舞川鹿子踊を見た際、関係者の方から「五色には仏教や五行思想に由来する意味があるとも言われている」と伺ったことがある。こういうやつね。

都鳥さんの布も、もともと付いている布は赤・紫・白・黄・水色のようだったので、同じようないわれがあるのだろうか?
ちなみに、今回は通常より布が増量されている状態で、黄緑っぽい布も見える。これは3月のライブ「風とう鹿」に出演した際に、体験コーナーとして観客の方たちにつけてもらったものだ。
ライブで見た装束が実際の奉納の場で風になびく様子を見ると、また印象が違って見えた。次に見るチャンスがあれば、踊りの内容などにも触れていきたいなと思いつつ…
今回はこのへんで。
参考資料
『東北歴史博物館 研究紀要13』(2012年)
及川 宏幸「行山流鹿踊 -宮城県北・岩手県南に分布する鹿踊群の系譜、装束と芸態整理-」