とまのす

寺社に行ったり、祭りを見たり、ちいさくゆっくり民俗さんぽをしたりします。

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古都でシシ(猪・鹿)の寺社を訪れる|京都

前回に引き続いて京都になるが、シンポジウム&公演でもお世話になった東京鹿踊さんのシシオドルーツアー(訳:シシ踊りのルーツ巡るツアー)にご一緒させていただけることとなった

(*'ω'*)

鹿踊での「シシ」は鹿だが、昔、狩猟の対象となる大きめの動物は皆 シシと呼ばれていたという。鹿は「かのしし」。羚羊は「かもしし」。猪は「いのしし」

今回は、そんな「シシ」に関わりのある寺社や東北に縁のある寺社をめぐった。

 



護王神社

まずは手始めに、今年の干支さん“猪”にご挨拶に伺う。
ココは上京区にある護王神社。
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チョイと見ただけでも境内にあふれかえるイノシシ像たち!
手水鉢も、舞殿の両脇に構えるのも みんなイノシシ!
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そしてコチラ↑は、
みんなの願いを受け付けている「願掛け猪」。
護王神社では一般的な「絵馬」も売っているが、
折角なので 御参拝の折には この
座立亥串(くらたていぐし)↓を使ってみては?
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イノシシの付いた可愛い紙札である。
氏名と願い事を2本の串に同じように記入。
片方は 先ほどの願掛け猪の周りに刺し、
もう一方は持ち帰って家で大事にお祀りする…
という、護王神社独自の願掛けなのである!

さて、ところで
何故こんなにイノシシ推しなの?というと。

日本史にも出てきたが 昔むかし
弓削道鏡という僧侶が法王となって権力を振るい、
ついには天皇の座をも奪おうとウソをついた!
「宇佐八幡の御神託で私を天皇にって言ってたよ」

困った天皇は、和気清麻呂さんを呼び出した。
「ねぇ、道鏡がなんかスゴイこと言ってるけどアレ本当?」
清麻呂さんは真意を訊きに九州へ。すると八幡神が言うのです。
「いやいや、後継者は皇族にしなよ」
「ってゆうか危ないから道鏡とか追放しちゃいなYo」

さっそく京へ帰って、天皇にコレを報告。
当然、計画を台無しにされた道鏡は激おこである。
「お前なんか、鹿児島に流罪なんだから!」
清麻呂は穢麻呂(きたなまろ)と改名させられたうえ、
流される途中で道鏡からの刺客に足の腱まで切られた。
しかし、そんな満身創痍状態でも清麻呂さんは
八幡様に感謝を述べるため宇佐八幡宮へ立寄ろうとする。

すると、どこからともなく大群のイノシシが現れ
彼の一行を取り囲み 守りながら宇佐八幡へ誘導!
不思議な水で足も治癒し、1年後には帰京も叶った。
そんな彼の神霊は今もイノシシたちに守られ、
この護王神社に鎮座しているというわけである。
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東寺・三十三間堂

この後は東寺と三十三間堂を案内していただいた。
…のだが、なにせ仏像というのは国宝とかに指定されると撮影禁止になってしまう。
しかも、2つとも管理人個人の希望でありシシ文脈(?)ではないので、感想だけにとどめようと思う。

ともあれ、東寺と三十三間堂は共に、仏像が山とある「天国のような場所」だ。
えーと、これはアレですよ。
①鎌倉仏師好きの管理人にとってはパラダイスですよね(*´ω`*)
②仏様たちがまさにそこに居る!浄土を見ているようです!
…ってゆうダブルミーニングですわ。

いや、でもほんとにね。

日本の仏教は、仏を人に「体感させる」仕掛けだらけだ、と東寺・三十三間堂を見てあらためて思ったワケです。

たしかに寺院とゆうのは修行場であり信仰拠点なのだけど、同時に劇場だな と。某アイドル的な。逢いに行ける仏。

 

雑誌で見て憧れていただけの あの子のライブを、息遣いが聞こえるほど近くで見られる!自分の応援の声が、あの子に聞こえてる。そしたら、もっと好きになる!
それと同じだと思うわけですよ。

経典に出てくるとか聞いたなぁ、というレベルだった如来がまさに目の前に来迎されたかの如く、天部に守られ菩薩に囲まれて自分と対峙している!

「なんて勇ましい四天王じゃ…これなら守って下さるに違いねぇ」

「見ろ、阿弥陀様だ。浄土ってのは、こんなに有難ぇトコか…」

そして、手を合わせているのを 仏様は静かに見ていてくれるのだ。

仏像だけではない。仏様たちを視覚化する仏画、掛け佛。のみならず、教えや念仏の文字情報を簡素化し目を楽しませ 容易に実践できる踊りへ変身させた踊念仏など。

「ありがたーいモノなのよ?簡単に届かないのよ?」
「お空のたかーく、海の果てにいるのよ?」

と遠ざけるのでなく、仏をググっと近づけて“そこにある”ものにする。日本の仏教にはそんな部分がある気がした。

 

六波羅蜜寺

さあ、精神のチャンネルが仏教に合ってきた所で、東山区の六波羅蜜寺へ!
仏像ファンでなくても、京都詳しくなくても、みんなこの人↓ 覚えてますよね?

空也像スケッチ

 

口からなんか出てるこの人が、この六波羅蜜寺の開祖。社会の授業で出てきたはずだけど、名前 覚えてますか
(=゚ω゚)ノ?
円仁じゃないよ、行基じゃないよ。「空也」だよ!
薄い着物に草鞋という簡素な姿からは考えづらいが、実は醍醐天皇の第二皇子だと言われている。
若くして出家し、五畿七道を歩いて修行を積んだ彼。京に戻ってからも豪華な寺院に籠ることなく、常に民衆の中にいて「市(いち)の聖」と親しまれたという。

京都で疫病が猛威を振るうと彼は 自ら十一面観音を彫り、台車に乗せて市中を曳いて歩いたという。そして仏前に献じた梅昆布茶(皇服茶)を病人に与え、踊りながら念仏を唱え ついには病魔をやっつけたのだとか。

そんな彼が今に残る「念仏踊り」の起源というが、もう一つ彼が起源とされている踊りがある。それがズバリ「鹿踊」である!

え⁉ここで急に鹿踊につながるの⁉という意外なポイントだが、彼が山に庵を結んで暮らしていたとき、よく庵のそばへ戯れに来る鹿たちがいたという。

空也上人も彼らを可愛がっていたのだが、ある日その中の1頭が猟師に撃たれてしまう。悲しんだ空也は その猟師から毛皮と角をもらい受け、それを身に着け 生前の鹿を真似て踊り 供養したとか。

このエピソードが東北の一部のシシ踊りで「シシ踊りの始まり」として紹介されている。
(個人的には、春日流に多い気がしている)

その供養の後も 鹿皮を腰に巻き 角を杖に付け、一生肌身離さなかったとも言われている。そこには「僧侶としての生命への慈しみ」を越えた「彼自身として可愛がった鹿を失った悲しみ」みたいなものを感じる。

それが仏教的に好ましいのかは分からないが、そうゆう揺らぎのある人間くささに人は惹かれるから空也も、踊念仏も、鹿踊りも今なおファンが多いのではないかという気がした。


鹿踊りの起源には鹿に関わる供養の物語が深く関わってくるようだが、
これにもいくつかパターンがあって
・狩猟の対象である鹿を猟師が供養する
・鹿の盾になって弾に当たった猟師の妻を鹿が弔う
(その様子を見た猟師が感じ入ってそれを模す)
など流派や地域によって様々な言い伝えが残っているようだ。

そして、どの話も 単に仏教的(儀式的?)な供養でなく

愛着を持っていた鹿への「明日からは戯れに来ないのだな」という悲しみ
人の糧になる動物への「すまない」や「ありがとう」という感謝
亡くなった妻への「なぜ」「自分は平気で鹿を撃っていた」という葛藤
そして妻を弔う鹿への「獣も人と同じ感覚を持っているのか」という驚き

という複雑で締め付けられるような感情を伴う気がしている。もしかすると踊るというコトは、失われた「相手の命」だけでなく解きほぐす必要がある「自分の感情」との対峙でもあるのかもしれない。

少し飛躍するが、だからこそ芸能は人の気持ちの拠り所になれる…のかもしれない。と思った管理人だったとさ。


清水寺

はい。妄想が長くなったところで、皆さんご存知 修学旅行の定番・清水寺ですよ~。
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工事用足場で掛造りがパワーアップした感じが逆にレア!(笑)
まぁね、いいんですよ舞台のほうは。もちろん、堂内にある仏像たちは素晴らしかったけれども。
やっぱり玉眼(仏像の目に水晶を用いる技法)の魅力は暗がりで仏像がロウソクの灯りに照らされたとき最高潮に達しますな!

でも、今回の目的はコチラ!阿弖流為(アテルイ)・母禮(モレ)の碑!
シシ直通の史跡ではないけど、シシ踊りの宝庫・東北と京都の関わりが垣間見える場所である。
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モレは、漢字のせいで女性的なイメージだけどアテルイの弟とも腹心の部下とも言われている人物だ。そしてアテルイは、歴史の教科書にも載ってるけれど蝦夷(えみし)の族長と言われている。

今では北海道の動物を「エゾ〇〇」と言ったりするので蝦夷=北海道というイメージがあるかもしれないが、アテルイは胆沢(いさわ)の地を統べていたと言われている。胆沢というのは今の奥州市周辺。岩手県だ。

そして、ご存じのとおり蝦夷を平定しようとする坂上田村麻呂が攻めてきて、彼が非常に強いので、アテルイとモレは投降することで戦を終えようとしていた。

そして田村麻呂さんも「敵ではあるけど優秀な武人だし人望も素晴らしい」と感じ、朝廷に2人を許してもらえるよう掛けあうと言ったのだ。

単に人徳に厚いという考え方もできるが、「民衆が慕うトップを生かしたほうが平和に統治できる」という知略に富んだ部分もあったかもしれない…。

いずれにせよ、そう悪い雰囲気ではなく田村麻呂の計画としては「あくまで赦しを請うために京都へ行って、故郷に帰ったら彼らに地元を統治させる」つもりだったらしい。

しかし、田村麻呂の願いは空しく 朝廷は「いや、絶対ダメだから。危ないし許せないし!」の一点張りでついにはアテルイとモレを処刑。

2人は現在の大阪府にある枚方に埋葬され、塚が残っているという。

 

アテルイが処刑された後、彼らが治めていた東北の地では大きな蜂起は確認されていないと言われている。しかし、当然ながら「なんてヤツなんだ。嘘をついて連れて行って殺した!」という気持ちはあったのかもしれない。

しかし、上記のような経緯が記録として残されていたことで、時代が経つにつれ「実はそういう状況だったのか」と明らかになってきた。

そしてついに、平安京ができて1200周年となった1994年!胆沢の人たちからの申し出により、2人のことを後世に伝える石碑が清水寺に建ったのであった。

芸能の中には陣中で踊られたものもあって、争いや苦しみがあったからこそ生まれた濃い文化もある。でも、その芸能をきっかけに そうゆう過去を知ることで二度とそうならないように過ごしていきたいものである。


奈良公園

さて、京都から一時離脱し 一路奈良へ。やってきました奈良公園!鹿ぁ♡
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管理人の住んでいる群馬では、道端とかでこっち見てる鹿とか見かけるけれど、なんかもっとイカツいし、居ても2頭くらい。

ココは、チマい鹿いっぱいいて すっごい可愛いんだけど自然界では見ない密度なのでシュールな気分になった。
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鹿せんべい売りが 客寄せのために破片を撒いたら、さらに鹿が一気に集まってきた。
鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿!

夜の森の中でみるとココだけ目立ってかわいい「おしりのクッションみたいな毛」。いや、昼間見てもかわいいな。
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手水鉢の鹿、トナカイみたいに巨大…。公園にいる実物とは大違い。
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春日大社といえばシカ。だから奈良には鹿がいる。岩手・水沢のあたりでも、鹿踊のはじまりとして「神使を模した踊りを春日大社に奉納したのが発端」と伝えている地域がある。

 

春日大社とシカのこと

それほどに、昔から春日といえばシカだったのである。しかし、このシカどっから来たの?モトからいたの?とゆうかなんでシカなの?というと。

春日大社の祭神はタケミカヅチ・フツヌシと、アメノコヤネ夫婦。

このタケミカヅチさんは常陸(茨城)の神様で、今も茨城の鹿島神宮に祀られている。そこから白鹿に乗って奈良の三笠山にお呼ばれしたのだ。

そうか、茨城から鹿に乗ってきたのね。確かに茨城の鹿島神宮にもシカがたくさん。

でもタケミカヅチ自体と鹿の関わりはイマイチわからない…鹿どっから来たんだ?と、古事記を見てみると「天迦久(あめの-かく)」という神霊が登場する。

高天原にいるアマテラスさんは、「地上も“天つ神”が治めたほうが良くない?」と考えて談判の使者を選定していた。(当時は“国つ神”であるオオクニヌシたちが統治していた)

「そうだ。アメノオハバリとかイイじゃん。ちょっとカクちゃん、行って伝えてきてよ」と声をかけられた天迦久こそが鹿の形をした神霊なのである。

天迦久から伝言を聞いたアメノオハバリは「マジ恐縮なんだけど、俺より息子が適任と思うんよ」と息子を推薦。この息子がタケミカヅチなのである。

談判の時は 天迦久に乗って行ったという記載はないようなので、タケミカヅチと天迦久の関わりはこの瞬間だけらしい。が、この一件により香島の地名も→鹿島になったとか。

カクちゃんどんだけインパクトあんねん!Σ(・ω・ノ)ノ!

 

そして、現実世界では藤原氏が常陸から奈良へ彼を勧請した時、タケミカヅチさんの分霊は鹿島神宮の鹿に乗せられ…なんと1年かけて奈良までやってきたという。
えっ、「鹿の神霊に乗って天降った」的な神話じゃなくてリアルに鹿に乗って来たなんて…鹿も大変だったな。
なので、この奈良にいる鹿たちは昔むかし茨城にいた鹿たちの子孫らしいという話だ。

 

藤原氏と鹿島様

鹿の疑問が解決したところでもう1つ、藤原氏はなんで茨城の土地の神様を奈良に呼んだんだ?というところも見ておきたい。

朝廷が北へと支配を進め、当時の茨城は北へ進軍する際の重要な拠点になったとされている。この東国平定のなかで茨城に定着していたのが「中臣氏」だ。

中臣氏といえば「大化の改新」の中臣鎌足が一番有名だが、要は藤原氏の祖である。

 

彼らはもともと祭祀を司る氏族であり、土地神でもある鹿島神を強く信仰していたという。鹿島様は武神であるとともに操船や水運の神でもあるようなので、平定においては神徳的にもベストな神様だったのだろう。

そして、藤原(中臣)氏が中央政府での勢力を増した時代に春日大社が創建された。こうして、彼らの氏神でもある鹿島神は都入りし、さらなる信仰を集めるに至ったと考えられる。

※鹿島神がいつからタケミカヅチと同一視されていたかははっきり分からないので、今回はまとめて鹿島神と呼んでいます

 

鹿踊とタケミカヅチ

なお、シシおどりの由来について調べるなかで、タケミカヅチと鹿島の民は
最初から友好的な関係だったわけではないと感じるエピソードがある。

タケミカヅチは ある時、常陸国に天降った。すると彼を追い出そうとする鹿島の民たちが野に火を放つ!

絶体絶命のピンチに どこからともなく無数のシカが現れ、自らの体に水を浴びては火中を駆け回り、ついには火を消し止めタケミカヅチを救ったという。

九死に一生を得たミカヅチさんは「鹿たち!消火してくれてマジでありがとね!」というコトで鹿たちを模した踊りを踊った。

これが岩手県の田野畑村に伝わる「菅窪鹿踊」の由来とされている。めちゃくちゃ鹿っぽさのある、幕踊り系のかっこいい鹿踊なのでぜひ見ていただきたい!


さて、管理人はそろそろ京都に戻って吉田神社へ行くけど…東京鹿踊の皆さんは興福寺まで行くらしい。いいなぁ、いいなぁ

(ノД`)・゜・。

大人気アイドル(?)阿修羅は置いといて、鹿といえば「中金堂の不空羂索観音」さんに会いたかったよ私は…。

世間的には知名度どうなんだろうか?アモーガ(空しからぬ)パーシャ(羂索=投げ縄)という名が表す通り その手には縄を持ち、一切衆生の信心が「空しいモノ」にならぬよう洩れなく投げ縄でとらえて救い上げる菩薩様。

もともとインドでは狩猟の神様だった名残か、その肩には鹿皮を纏っているのだ!なんてワイルド!

見れなかったから残念過ぎて描いたよ!

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今度奈良に行った時は、絶対もっとのんびりするんだ…中金堂も行くんだ…と心に決めつつ 独り京都へ戻る管理人だったとさ。

おまけ:

さぁ、京都に付いたので最後に建仁寺の中にある「禅居庵」に立ち寄る。
こちらでは 摩利支天さんが御本尊様となっている。

コチラの摩利支天さん、日本では武将に人気があった関係で「猪に立ち乗りしてるイカツいおっさん」とされているが実はインド・チベットでは美女!

陽炎を神格化した「マリーチー」と呼ばれる女神様で、陽炎であるがゆえに“何人たりとも傷つけることができない”。だから武将にも人気だったのである。

「強くなる」でなく「傷を負わない」故に勝てる、というのは もっともな考え方ですな。

このマリーチー、タンカ(チベットの仏画)とか検索して戴くと大陸にいたころからイノシシに乗っていたことが分かる。なので、日本に来てからも摩利支天といえばイノシシ。

禅居庵の中はどこもかしこもイノシシだった!手水鉢はもちろん、おみくじの入れ物も…
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そして狛イノのバリエーション豊か過ぎる…
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奉納されている額には、びっしりイノシシの大群!
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いやぁ、マリーチーのみならずヴァジュラヴァラーヒーとか
チベットの女神様は意外とイノシシ要素あるから、
さがしてみると意外と日本の寺院の中にもイノシシ居るかも。

今回の京都では、いろんなシシに逢いつつ
何だか日本史の授業の端々を思い出した管理人でした。
そして仏像みると、もっと見たさが止まらなくなりますな。

(/・ω・)/デハマタ!