さて、今回はGW中に行った「青柏祭(せいはくさい)」について書いていく。巨大な舟型の曳山が町を行く祭りとは聞いていたが、その迫力が想像以上だった…という話。
宵山へ向かう
七尾の町へ向かうために乗った電車は、落ち着いた あずき色。レトロな感じがしてかわいらしい。
青柏祭は巨大な曳山(通称・でか山)が登場する祭りで、曳山は全部で3台。それが山王社に集まるのが一番の見どころともいわれている。
なお、そのうち2台は夜のうちにそれぞれの地区を出発して神社へ向かう。これが「宵山」だ。
ということで、まずは その集合場所・山王神社へ下見に行ってみた。七尾駅から徒歩10分ほど。鳥居は三角屋根のような装飾がある「山王鳥居」になっている。
※案内や地図によっては大地主神社と書かれている
実際曳山が集まるのは明日の昼。鳥居から参道までには広くて開放的なスペースがあって、きっとここに並ぶのだろうと考えながら参拝を済ませた。
さて、この祭りの難しいところは、3つの曳山が別々の動きをすること。経路云々よりも時間差がかなりあるのだ。
例えばこの鍛冶町の山車↑
5/3の21時に地元である山王神社付近の三差路に停まっている。そして21時半ごろ山王神社に向けて曳き出しとなる。両脇の商店と比べても、巨大さはお分かりいただけるだろう。
山王神社に到着するのは23時過ぎ。そして鍛冶町の山車は神社で一泊し、残りの2台を待つ。

ちなみに、夜が明けてからの「本山」では若衆たちが木遣り台(曳山前後の足場)に乗るが、宵山では小さな子どもたちが祓彩(ザイ)を振る姿が見られる。未来の木遣り衆たちよ。こんなに遅くまで起きてて大丈夫か?
(既に22時を回っている。おねーさんはもう眠いよ…)
そして、次に動き出すのは府中町の曳山↓
日が変わってから動き出すので、この曳行は「宵山」でなく「朝山」と呼ばれているらしい。雨と寒さに見舞われ、眠気も限界に達し「午前1時は朝ではない!」と叫びたい管理人だった。
画面左端に鳥居が映っているが、これが府中町の印鑰(いんにゃく)神社だ。午前1時頃から曳き出し、山王神社に到着するのは朝7時。ほぼ夜通し曳いているようなものである。
そして その到着の1時間後、朝の8時。最後の魚町の曳山が山王神社へ向かう。魚町については「宵山」は無く、この山王神社へ向かう曳行がいきなり「本山」となる。
※あと2町の本山は、山王神社から帰るときの曳き出しのことを言う
いや、でもそんな 全ての曳行を始終見ていたら…ひ弱な管理人は睡眠不足で倒れてしまうからね。府中町の出発は見届けたし、魚町↓も何とか発見して写真に収めたので…。
今夜はもう寝ます!(と言って、この後40分くらい道に迷った)
この写真、曳山の右側に立っている電柱を見ていただくと、上のほうに小さな赤いランプが見える。
これは曳行経路にある電柱に設置されるもので、夜間に曳山たちが電柱に当たらないようについているのだそうだ。
加えて、曳山が電線に引っかからないように電柱自体の高さも他の道より高くできているらしい。す、すごい…もう地区全体が青柏祭使用になっているというわけか…。
そしてこの大きな車輪!20tにもなる巨大な山車を支えるため、劣化は免れない。これだけの車輪の材料となる木はなかなか手に入らず、国外から木を仕入れることもあるようで…。これはもはや日本中の山車・屋台・曳山に言えることだが、本当に維持費・修繕費を工面するのは大変らしい。
山王神社に曳山がそろう
さて、翌日になった。管理人がぐっすり寝ている間に府中町のでか山は山王神社に到着し、のんびりゴハンなど食べている間に魚町のでか山も 神社まで来たことだろう。
という訳で、再び山王神社前へ向かうと…おおおおぉぉ!3台 揃ってる!
2階建ての住宅の2倍以上はある「高さ」もさることながら、横幅!そして、上に向かって広がっていく形状…すべてに存在感がある!
こうして集まった曳山は、昼過ぎに着いたのとは逆の順番で山王神社から曳き出されていく。
知恵の結晶・辻回し
さて。ここで、神社を出発した曳山を追って、青柏祭の見どころの1つ「辻回し」を見てみたい。
*辻廻しとは
辻廻しというのは、操舵性のない曳山や屋台を梃子(てこ)の原理などを利用しながら方向転換させることを指す。
どういうことかというと、普段みなさんが乗っている自転車や自動車というのはハンドルを切れば車輪の軸の角度が変わるようになっている。だから舵が効くのだ。
けれど、昔ながらの車輪というのは車軸が動かない。秩父夜祭の「屋台」や京都祇園祭の「山鉾」もだが、この青柏祭の「曳山」もそうだ。
大きな構造物がグワッと回る様子を見ると、応援したい気持ちと「すごいぞ!」という気持ちが混ざり合ってテンションが上がるのは管理人だけではないだろう。
どうやって回すのか?
秩父夜祭では2本の梃(てこ)で屋台を持ち上げ、軸になる芯棒を屋台の下に入れて回す。祇園祭では山鉾の車輪前に青竹を並べ、その上を滑らせるように曳いて進行方向を変える。
では青柏祭の曳山はというと、梃子を使う点では秩父と似ているが、なんと梃は1本しか使わない。
ザックリ言うと 梃子で曳山を持ち上げたら→曳山の車輪と90°軸のちがう小さな車輪を下ろし→曳山を横から押して方向転換する。
*実際はこんな感じだった!
辻に差し掛かったでか山は一旦止まり、若衆たちが「ヤーンサーのドッコイショ」の掛け声で方向転換させたい方の車輪に大梃子↓をかませる。
45°ほどの大梃子に1人目の若衆が登り、大梃子と直角に交わるよう角材↓を結わえ付ける。
結わえ付けた角材と大梃子の先端で、最初に乗った若衆を中心に数人で櫓↓を組む。
そして櫓から大梃子の根元まで 若衆が次々に乗っていく。
木遣り衆やOBらしき人の唄う「大木遣り」が響く。歌詞には即興性があり、目出度いもののほか艶っぽいものもあった。
(´・ω・`)
「新幹線は~男か女かを問~えば、答えは男よ~」さぁ、そのココロは…
青柏祭(2018.5.4)大梃子と若衆
続きを聞くと、下ネタながらひねりの利いた理由で勝手に関心した。こういうのは言葉遊び的要素も多くて、しかもなんといっても唄なので語呂が良い。
(祭が終わってもふとした瞬間に脳内リピートされる)
さて、話がずれたが…掛け声に合わせ全員で弾みをつけるように大梃子を上下に揺らし、少しずつ地面と同じくらいの角度まで下げてゆく。
すると梃子の原理で巨大なでか山が傾いたではないか!
人が多くてあまり写っていないが、その間に「地車(じぐるま)」と呼ばれる小さな車輪を下ろし、行きたい方向へ引っ張れるよう綱を付け替える。
地車は通常の車輪と90°違う方向を向いているので、一旦これを下せば方向転換自体は一気に90°回せる。そして、また地車を抜くために前述の工程を繰り返す。
遠くで見ていると何をやっているのか全く見えず「えらい時間かかるなぁ。何してるのかなぁ」と感じてしまうのだが、近くで見るとこんなに楽しい。
「七尾まだら」を見る
そして、少し時間をおいて最後に鍛冶町のでか山が出発。曳き出し前には「七尾まだら」が歌われ、着流し風の服装をした木遣り衆たちが舞う。
各宵山でも見られるが、鍛冶町の「これで今年の祭りも終盤」という哀愁のこもった七尾まだらはいいものだなぁ。と一人でしみじみ。
関東の山麓に住む管理人は船方歌にあまりなじみがなく「七尾まだら」という名前が非常に気になった。調べてみると「まだら」の語源はいくつもあり
・玄界灘の馬渡島(まだらとう)の船方が歌い始めた
・曼荼羅から転じた言葉
など色々な説が載っていた。ちなみに七尾だけでなく「輪島まだら」などもあるとか。
正直、自分で撮った動画を見ても聞き取れないが「めでためでたの若松様よ 枝も栄えて葉も茂る」というたった二節の歌詞。これを、音を伸ばして伸ばしてなんと5分間かけて歌い上げるという驚異の祝儀唄だ。
青柏祭では木遣り姿で舞うが、結婚式や祝い事では紋付き袴を着て舞われるという。役付きの人だけでなく、祭を見に来ている地元の人も結構歌える(一緒に口ずさんでいる)のが何だかいいなぁと思った。
長野県民で言う「信濃の国」みたいなもんなのか(いや、なんか違うな)群馬ってそういうの無いなぁ。みんな八木節唄えるわけじゃないし。ちょっと羨ましい。
祭りの由来は「犬猿の弔い」?
さて、祭りの様子を紹介してきたが、一体この祭りは何のために始まったのか?と思って調べてみた。すると、「霊犬と猿神を弔うため」だという。
この山王社には猿神が住んでいたという伝説が残っており、この猿神は年に一度村の娘を捧げさせていたという。
しかし、この猿神は「シュケン」という者を非常に恐れていた。それを知った村人がシュケンに助けを求めようと探し出すと、果たして、それは白い狼(山犬)だった。
シュケンは、祭の夜に娘の代わりとなって猿神の元へ向かい、夜通し死闘を繰り広げたが最後は相打ちとなったという。
蛇足だが、信州にもこれに似た「早太郎伝説」がある。
これ以降、「シュケンを弔おう」「猿神の怒りを鎮めよう」と考えた七尾の人々は毎年神社に大きな曳山を奉納することとした。これが青柏祭の始まりだという。
おわりに
個人的には「山王神社と言えば猿は神使だが、やっつけてしまってOKだったのか?」「もっと、生活や産業に関連した行事的な由来はないのか?」というのは気になるところだが…。
また、あらためて七尾の祭りや寺社を見に行くタイミングで、図書館などにも寄って文献を探してみたいと思う。
(/・ω・)/マタネー