とまのす

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動物園で、ししおどり|行山流舞川鹿子躍

先週末、多摩動物公園で「【動物園×伝統芸能×NGO】日本の伝統文化のなかに生きる動物たち」というテーマでミニシンポジウムなどが行われた。

実際伝統芸能を継承している人や、そうした芸能で使用される道具の研究をしている人、そして日々実際の動物に触れている人などをパネリストとして招いたイベントである。


そしてなにより そのシンポジウムに伴い東京で岩手のシシ踊りが見られる!
(*'▽')ワァアアアイ!

というわけで、ひとり動物園にGO!

 



行山流舞川鹿子躍のこと

午後の部は13時からだが、八王子からの電車に乗り遅れてギリギリに。駅から全力で走り、動物公園の門をくぐると同時に鹿さんたち登場!
とゆうスリリング(?)な到着となった。
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シシ踊りは鹿のカシラをつけて踊る民俗芸能で、宮城・岩手を中心に伝承されている。

今回みられるのは行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅう-まいかわ-ししおどり)。岩手県の一関市舞川に伝わるシシ踊りだ。

シシ踊りのはじまりに関する民話は多くはなく、どのような由来で始まったのか正確には分からないとか。現在伝わっている話は 地域によって差はあるが、猟師さんが関わる話が多いように思う。

というのも、鹿は昔から狩猟の対象であり、シシ踊りには その鹿を供養する意味があるらしい。だからこそ、猟師さんとはつながりが深いのだろう。
※ただし、宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」では主人公の男は お百姓さんである

さらに その弔い(供養)の対象は動物にとどまらず、盆には新盆を迎える家を対象に門付けとして踊られたり墓前で舞われる地域もあるという。

 

演目は「女鹿隠し」

では早速、実物を観てみましょ
(/・ω・)/ソウシマショ!


行山流舞川鹿子踊(2018.3.18)


舞川鹿子踊はシシ踊りの中でも「太鼓踊り系」。鹿さん一人一人が腰の前に太鼓を付け、力強く打ち鳴らしながら踊るのである。
もう一方の「幕踊り系」は太鼓を付けず、両手で面から下がっている幕垂を持って踊る。

今日の演目は「雌獅子(女鹿)隠し」。複数のオスが1頭のメスをめぐって争うという筋書きだ。

結末や細かい内容は地域や団体によって違いがあるが、解説のおねえさんによると今回は「争っているうちに霧でメスを見失い引き分け」という 平和的(?)な話だった。

 

装束のこと

さて、ここまで写真を見ていて、おそらく多くの人が気になっているのが背中に付いた「ささら」↓ではないだろうか。

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実は、日本には「ささら」と呼ばれるものが複数ある。

掃除や調理に使う茶筅的なのもササラ。切れ込みのある竹を擦って音を出す楽器もササラ。支柱に細い割竹を差して紙で飾ったものもササラ。細い板状のものを連ねて音を出す楽器もササラ。

自由すぎるわ!と叫びたいが、どうやら室町時代くらいまで遡ると ササラというのは「稲穂が擦れ合う音を表す楽器」を表す言葉だったという話がある。

冒頭で「弔いや供養のための芸能」と書いたが、鹿踊は弔いだけではなく五穀豊穣も願う芸能とされるので。そんな部分も関連しているのかもしれない。

そして、もうひとつ。天へ向かって伸びるささらはカミサマを迎える神籬(ひもろぎ)とも考えられているのだそうだ。
※一般に神籬とは、神様の依代となる物のことを言う

このササラを目指してくる神様とは、いったいどのような神様なのだろうか。ササラで地面に触れることで土地を清めるという話を聞くと、なんとなく神道的な神様らしい感じもする。

しかし、稲作を見守る神だとすれば、それはもう少し庶民的な…というか神のような存在になった祖霊たちなのだろうかとも感じた。


*装束について*
さて、そんな「ささら」もさることながらシシ踊りの装束には他にも色々な謂われがある。たとえば、この皆の肩のあたりについている家紋。
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1つの大きな丸を8つの小さな丸が囲む「九曜紋」。これは仙台藩主・伊達家の家紋。
この紋をつけて踊ることは、伊達の殿さまから「素晴らしい踊りだから、やっていいよ」と踊ることを許可されたという意味があるという。

また、調べ隠し(太鼓に張った「調べ紐」の真ん中の帯)には線路のような「井桁つなぎ」や輪が連なった「つなぎ輪違い紋」と呼ばれる模様が染めてある。
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輪違い紋は、完全に重なることも 離れることもない様子から「仏教の金剛界と胎蔵界を表している」とか切れることなく連綿と続く「子孫繁栄」など色々な意味があるらしい。

袴の柄も鮮やかで美しいが、加えて頭から足首まで垂らしている鮮やかな「ナガシ」も目を引く。袴の後ろやナガシには蓮の花や三鈷杵など仏教的なモチーフもみられる。
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全ての装束を合わせた重さは12kgを超えるらしいのだが、見よ!この↓跳躍力!
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まことに野生のシカの如し!

 

人と獣とについて考えたこと

さて、衣装についていくつか話したが、太鼓系の角はホンモノの鹿角のことが多い。それも、立派に三又に分かれたもの。また「ザイ」という髪の毛のようなものは馬の尻尾である。

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どこかおどろおどろしい雰囲気を醸し出す自然界のパーツ。これらを身に着け、首を振り、跳ねまわる。太鼓を打ち鳴らしてササラで地面を打つうちに、動物だったものが人の一部になり、人は鹿になってゆく。

管理人はそんな風に思っているのである。

 

この公演の後に行われたミニシンポジウムでも「日本人の 動物に対する感じ方の特徴」
という話が出た時にパネリストの方が「動物と人の境があいまいでは」と話されていた。

日本の民話は中央アジアや欧米に比べ人と動物の境が曖昧であるというようなことが
前に読んだ本にも書かれていたなぁ、と思い出す管理人。

宮沢賢治も「鹿踊りのはじまり」で、野生の鹿が群れて遊ぶ様子を見ていた男が自分も「鹿になったような心持」になり鹿の輪の中へ飛び出してゆく場面を描いている。

シシ踊りは、鹿が人のような感情を持って野に在る様子を人が鹿となって躍る芸能だと思う。そこには、行き来が可能な、つまり動物として同等な人と鹿がいるのかもしれない。

 

おまけ:イノシシ事件

余談になるが、私自身がシシオドリを見たときに「人と獣のあいだを行き来している」ように思うのは、以前に面と向かってイノシシに会ったことがあるからかもしれない。

管理人は馬に乗る人間なので、山に近い厩舎に通っている時期があった。そこで、早朝に今までの人生で見た中で 一番大きなイノシシと鉢合わせてしまったのである。

イノシシは肉食獣ではないが、噛まれてもぶつかられても大けがをする。最悪の場合もある。そう思い、不用意には一歩も動けなくなった。

このような「どちらかの出方によってはもう一方が死ぬ」という可能性がある状況で、相手の出方をうかがっているはずなのに「相手から見えている自分を見ている」ような変な気持ちになったのを覚えている。

これから鹿を撃とうとする猟師さんも、鹿を通して「鹿を撃とうとしている自分を見る」ような感覚になったりするのかは気になるところだ。

 

少し複雑な、締まらない締めになってしまったが今回はこのへんで。